- 創価学会辞めたいけど、罰が当たるのが怖い・・・
- 友人や家族が創価学会の人に洗脳されてしまい困っている・・・
- 創価学会の活動内容や活動する目的が知りたい・・・
創価学会の信者は公称で約827万世帯いるとされており、日本の宗教会員数ではトップ三位以内に入る大きな団体です。どこの宗教団体も大半は同じことがいえますが、実際に活動している人はそこまで多くはありません。例えば入信直後に未活動になったりする人も多くいますが、入信の記録さえあれば引き続き信者数にカウントされる現状にあります。創価学会の特徴は大きく分けて二つあります。一つ目は日蓮大聖人の仏法を信仰していること。二つ目には政治活動に積極的に取り組み公明党を支持していることになります。以上の二つを通して、日本や世界の平和を願っている信者が多くいるのが創価学会の特徴になります。
この記事では、日蓮大聖人の仏法を14年間(2007年〜2021年)信仰し一筋に勉強してきた私が、体験談を通しての洗脳(マインドコントロール)介助方法を記しているので参考にしていただけると幸いです。
まず初めにお伝えしておきますが、この記事では創価学会での信仰を否定・批判するつもりは毛頭ありません。この記事を見てくれているあなたにせよ、あなたの友人や家族にせよ、やりたいと思う意志があるのであれば、その意思を尊重することが大切だと思っています。
それではここから先、本題に入ります。
日蓮大聖人の仏法とは?
日蓮大聖人とは、三大秘法という仏法を以て、全人類をお救い下さる仏様とされています。
つまり、日蓮大聖人という仏様を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、いかなる人も宿命が変わり幸せになり、臨終には成仏が叶い、そして信仰が国や世界に広がる時、世界平和になるとされています。
宿命とは、命に宿ると書きますが、命に宿っているものが性質とされています。この性質には大きく分けて十個あるとされており、この概念のことを十界論と言います。以下、十界論について簡単に説明します。
- 地獄界(苦しみの性質)
- 餓鬼界(欲望の性質)
- 畜生界(愚かな性質)
- 修羅界(嫉妬・競争心の性質)
- 人間界(穏やかで平らかな性質)
- 天上界(喜びの性質)
- 声聞界(探究心の性質)
- 縁覚界(感受性の性質)
- 菩薩界(優しさ・慈悲の性質)
- 仏界(悟り・幸福境界の性質)
以上の十個の性質は、誰の心の中にも存在していますが、人によって強弱があるとされています。例えば地獄界の性質が強ければ、イジメ・病気・事故などで苦しんだり、あるいは修羅界の性質が強ければ、常に誰かと喧嘩をしたりといった具合になります。仏界以外のそれぞれの性質には弱点があります。例えば、探究心の強い人であれば、独自の知識にこだわり自己中心的になる傾向があったり、あるいは、優しさの性質が強い人であれば自己犠牲を伴うことがあるといったイメージです。
そこで、三大秘法の登場です!この仏法を実践すれば、いかなる宿命も良き方向に変わり、必ず幸せに導かれるという教えです。このことを宿命転換と言います。宿命転換することで功徳(良いこと)があるとされており、その効果には祈りが叶ったり、罪が無くなったり、福運がたまると信じられています。
三大秘法とは?
三大秘法とは以下の三つです。
- 本門の本尊(南無妙法蓮華経と書かれた文字・曼荼羅・仏様の魂)
- 本門の戒壇(本門の本尊が安置されている場所・空間)
- 本門の題目(本門の本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱えること)
三大秘法は本門の本尊を中心にするため、別名を一大秘法と言います。また、三大秘法は六義に解釈することもできます。
本門の本尊 | 人(御本仏日蓮大聖人) | 法(南無妙法蓮華経の御本尊) |
本門の戒壇 | 義(御本尊所住のところ) | 事(広宣流布の暁の国立戒壇) |
本門の題目 | 信(御本尊を信ずること) | 行(御題目を唱えること) |
『実には是れ一大秘法なり。一大秘法とは即ち本門の本尊なり。この本尊所住の処を名づけて本門の戒壇となし、此の本尊を信じて妙法を唱うるを名づけて本門の題目となすなり。故に分ちて三大秘法と成すなり。又、本尊に人有り法有り、戒壇に義有り事有り、題目に信あり行有り、故に開して六義と成る。此の六義散じて八万宝蔵と成る。』
日寛上人(依義判文抄)
国立戒壇とは?
国立戒壇とは本門の戒壇のことを意味します。本門の戒壇については日蓮大聖人が書いたとされる三大秘法抄と一期弘法付属書の二書に詳しく書かれています。
では三大秘法抄から見ていきましょう。
『戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其のむかしを末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下してふみ給うべき戒壇なり』
(三大秘法抄)
以下、ざっくりと誰でも分かるように解説をしていきます。
- 王法→政治
- 仏法→日蓮大聖人の仏法
- 王臣一同→天皇・総理大臣・全民衆
- 三大秘密の法を持ちて→南無妙法蓮華経と唱えて
- 有徳王・覚徳比丘→その昔、身命を失うことがあったとしても仏法を守りぬいたという故事の引用(詳細は後ほど)
- 末法濁悪の未来→愚痴・欲望・怒りなどで心が濁る未来。
- 勅宣→天皇の詔勅(天皇の発する公式文書)
- 御教書→当時(鎌倉)幕府の令書、今日においては閣議決定・国会議決等に該当する。
- 時を待つべきのみ→勅宣並びに御教書(国家意思の公式表明)の手続きするまでの時を待つ必要があるとの意味。
- 三国→日本・中国・インド
- 一閻浮提→全世界
お分かりでしょうか?三大秘法抄には、戒壇建立についての『時』と『手続き』と『場所』が明示されています。
『時』:【王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其のむかしを末法濁悪の未来に移さん時】
『手続き』:【勅宣並びに御教書を申し下して】
『場所』:【霊山浄土に似たらん最勝の地】→富士山(南麓の天生原)
『国主此の法を立てらるれば、富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり。時を待つべきのみ。事の戒法を謂うは是なり。』
一期弘法附属書
ではなぜ、わざわざ時と手続きと場所が記入されているのでしょうか?その訳は戒壇建立の目的が仏国実現にあるためです。
仏国の実現は一個人・一団体だけの建立では叶わず国家次元で仏法を保つ必要があるとされています。それにちなんで、国家意思の公式表明などの条件が必要となってくるのです。つまり、本門の戒壇とは国家意思の公式表明を以て建立の必要手続きとするゆえに、国立戒壇と呼称されてきました。
ですので、創価学会員が永遠の師匠と仰いでいる三代会長(牧口常三郎・戸田城聖・池田大作)もかつては国立戒壇こそ日蓮大聖人の偉大なる御遺命であると認識し、その上で広宣流布(仏国実現)を目指していました。
以下、一例を引用します。
『我等が政治に関心を持つゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである』
第二代戸田城聖会長(大白蓮華六十三号)
『国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります。』
第3代池田大作会長(大白蓮華五十九号)
かつての創価学会が国立戒壇を目標にしていたのは、その実現により世界平和を築くことができると信じていたためです。ところが状況は一変します。昭和三十九年、池田大作は公明党を結成し、衆院進出を宣言し、そして昭和四十二年一月の衆院選では初の当選者二十五名を出しました。それから益々、政治の世界に関与し現在に至ります。
選挙のために宗教団体の信者を利用するやり方は、まさに選挙のプロと言えるでしょう。しかしその当時、共産党をはじめマスコミ・評論家などは「国立戒壇」を取りあげ、「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」と批判を始めました。この批判が選挙に不利をもたらすと見た池田大作は「国立戒壇」の概念が邪魔になりました。そしてそれまでの信念を正反対に変え、国立戒壇を放棄・否定するようになりました。その国立戒壇の否定は令和の今日まで続いています。
しかし口だけで「国立戒壇」を否定しても、誰も信じてはくれません。そこで、国立戒壇に替わる別の戒壇を建立することになりました。その戒壇を「正本堂」と言います。名前的には、正しく本物の堂なのですが、全く偽物です!しかし、当時の創価学会員たちは嘘を見抜けず正本堂が「日蓮大聖人の御遺命の戒壇」であると本気で思い込むようになりました。
創価学会の会員が正本堂を御遺命の戒壇と思い込むのは当然かもしれません。なぜなら会長自身が自画自賛していたからです。
以下、一例を引用します。
『正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり』
池田大作(正本堂発願式での発誓願文)
『七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります。(中略)世界平和の新しい根本道場である正本堂は、時と共に輝きを増し、末法万年尽未来祭まで、不滅の大殿堂となることは、絶対に間違いない。(中略)正本堂完成により、「立正安国」の「立正」の二字が完璧となったのであります』
池田大作(第日蓮42年6月号)
つまり池田大作は、仏教三千年の歴史の中で一番偉大な宿願を正本堂建立によって成し遂げたと自慢しているのです。(ちなみに正本堂は昭和47年10月に建立されていますが、平成10年に解体されています。)
矛盾していることにお気づきでしょうか?
池田大作は、かつて、『国立戒壇こそ創価学会の唯一の大目的なのであります。』と述べていました。その発言が覆り、国立戒壇が正本堂に置き換わりました。そしてその正本堂こそが本門の戒壇であると言っているのです。
自慢話はそれだけではありません。池田大作は37歳の時、次のような言葉を残しています。
『私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化いっさいの指導者・最高権力者である』『私は現代の救世主である』『釈迦以上であり、日蓮大聖人を超える存在である』
人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方
私だったら恥ずかしさのあまり冗談でも言えない言葉です。同時に思うことは、矛盾したことを平気でいう恥知らずの男についていくことも恥ずかしいと思ってしまいます。
ちなみに創価学会の矛盾の象徴で最たるものは会則の変更にあります。
創価学会の当初の会則は次のように定めていました。
『この会(創価学会)は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗総本山に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本とする』
教義(昭和54年4月)
上記の内容が、以下の内容に変更になっています。⏬
この会(創価学会)は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願とする。
教義(現在)
内容の変更を簡単に説明すれば御本尊はどれも同じと解釈されています。つまり、日蓮大聖人が顕された御本尊も、歴代上人が図顕した御本尊も等しいことにしているのです。
宗教全般に言えることですが、本尊とは、『根本として尊敬する』という意味合いが込められています。
しかしながら、現在の創価学会は根本が変わってしまっているのです。会則の当初、根本として尊敬・崇拝していた弘安二年の本門戒壇の大御本尊(日蓮大聖人直筆)を、現在では用いないと発言されています。
『弘安二年の御本尊は受持の対象にはしない』
原田 稔会長(聖教新聞・平成26年11月8日)
これには理由があり、日蓮正宗との仲間割れが原因とされています。日蓮正宗と創価学会の関係を分かりやすく解説してくれている動画を紹介しておきます。
創価学会の洗脳を解く方法!
さて、いよいよ記事のタイトルにもある創価学会の洗脳を解く方法についてご紹介していきます。
洗脳を解く方法で、まず始めに知っておいて欲しいことがあります。洗脳とは言葉による情報によりできているため、洗脳を解くのも情報になるということです。
そして情報を集める際のポイントとしては物事を俯瞰的且つ客観的に見ることです。以下、このことを掘り下げて解説していきます。
人には毛様体賦活系と呼ばれる機能が備わっています。毛様体賦活系とは、ある情報を認識(意識)するために脳が勝手に処理してくれる機能のことを言います。逆に認識(意識)していない物事や、認識(意識)しようとも思っていない物事においてはスコトーマ(認識の盲点)が働きます。(以下、網様体賦活系についての参考動画です。)
この毛様体賦活系を宗教に当てはめた場合どうなるでしょうか?
自分が最初に認識した情報が正しいものだ!と思い込むことで、そのフィルターを通して物事を見てしまいます。その場合、例え真逆の意見があったとしても、最初に信じた内容が全てが正しいと思い込んでしまう傾向が強いのです。例えば、赤いペンで書かれた文字がある際、赤いシートを通して文字を見ようとしても文字は見えないですよね。そして、自分が正しいとの認識(思い込み)によるシート(フィルター)のことを先入観と言います。この先入観こそがマインドコントロールの正体なのです。
マインドコントロールで一番厄介なのは、一番最初に素直に受け入れてしまう情報という点です。例えば、以下の画像を12345678の順番で見てほしいです。そして、4・5を見た際にどう見えるか?を試してみてほしいです。
おそらく12345678の順番で見た場合には中間地点である4・5においては男性に見えたのではないでしょうか?これは1の絵が男性の顔に近いためです。
逆に、最初に87654321の順番で見ていくと、中間地点である4・5においては、女性に見える傾向が高まります。
では引き続き、もう一つ実験を行いたいと思います。
今度は、以下の画像を通しての『とある食品』を想像してみて下さい。
答えは分かりましたか?
簡単ですよね。正解はパンでした!
しかし実は『パン』との答えを導き出した人は誘導されたことにお気づきでしょうか?
この答えは『とある食品』という情報を最初に受け入れてしまった結果なのです!
確かに、台所やまな板の上にあった場合、その環境設定によりパンであることは確かなものになってきます。
しかし、今回の対象物が台所やまな板の上にある『とある食品』ではなく、外に置かれていた場合はどうなるでしょうか?
状況によっては、対象物が郵便ポストになったりもします。このことを分かりやすく示してくれている以下の二つの画像を見比べてみて下さい。
対象物は同じでも、最初に受け取ってしまった情報により、答えは変化していきます。
大切なことなので、もう一度繰り返しますが、一番最初に受け入れてしまう情報というのが洗脳の厄介のところなのです。
つまり、この実験を通して伝えたいことは、一番最初に受け入れてしまった先入観というのは、マインドコントロールにおいて多大な影響をもたらすということです。では、この先入観はどうすれば改善するのでしょうか?
今回の例では、新しい環境設定(対象物が庭にある設定)である情報を付け加えた際に別の見方ができるようになりましたよね。
つまりマインドコントロールを解くために必要なことを一言で説明すると、『俯瞰した状態で客観的に物事を見る!』ということに尽きます。もう少し具体的に言えば、洗脳を解くためには多くの情報を集め、視座を広げるということが大切になってくるのです。
洗脳を解くための情報においては、自分が信仰している宗教団体、もしくは自分が信じている価値観の中に矛盾点はないか?を意識的に探してみると良いでしょう。
創価学会の矛盾点は既に述べていますが、ここで復習がてらに繰り返します。創価学会は発足当時、『国立戒壇建立』を目標にしたり、あるいは『本門の本尊』を根本として信仰してきました。しかし、現在の創価学会は、国立戒壇も本門の本尊も受け入れていないのです!例えば、キリスト教で言うと、神様を中心に信仰していたはずなのにも関わらず、ある日突然、神様は目に見えないから存在しない!って解釈に変更しているようなものです。明らかにおかしいのは一目瞭然です!
しかし、実際に矛盾点気づいたとて、心理的な理由によりなかなか脱会に結びつくのは困難なことです。そのため、洗脳を解除するためには自分が信じている宗教(価値観)の矛盾点を探す意外にもう一つのオススメ方法があります。それが心理学を学ぶということです。
洗脳を解くための心理学として重要なことはいくつかの種類が挙げられますが、ここでは人間の本能として備わっている『自己正当化』と『自己防衛機制』について解説していきます。
自己正当化について
自己正当化の性質を知る上で役に立つ心理学の実験を紹介していきます。
あなたはミルグラム実験というのをご存知でしょうか?
この実験では、『記憶の研究』に一時間参加すれば4ドル支払うという新聞広告を通して、普通の男性と女性が募集されました。実験室に到着すると、各参加者は別の参加者1名(※実際には、実験協力者)に会い、片方が教師役を、もう片方が学習者役を演じるのだと言われました。引き続き、2人の参加者(※1人は実験協力者)はくじ引きをします。このくじ引きにはカラクリがあり、本当の参加者は教師役のくじを引くことになります。
教師役の役割は単語対の一覧表を学習者に読み上げ、その後、各単語対の最初の単語を読んで学習者に4つの選択肢から正しい2番目の単語を選ぶように求めることで、学習者の記憶を査定することでした。例えば、リンゴという単語が読み上げられたとします。その際、リンゴの単語に続く言葉として以下の4つのうちどれが適切かを選択します。
- 着ける
- 運転する
- 赤い
- ドラえもん
リンゴは赤いため、この場合の正解は3番の『赤い』になります。
この問題で、学習者が誤るたびに、参加者は学習者に電撃を与えるスイッチを押すことになっていました。例えば、先程の例で言うと1の『着ける』や2の『運転する』などを選んだ場合は不正解となり、本当の参加者である教師役の人は、学習者(実験協力者)にペナルティとして電流を流すということです。
学習者が椅子に革帯で固定され手首に電極がつけられている間、教師役の参加者は見守っていました。教師役の参加者は、隣の部屋で、制御盤に30本のスイッチが横一列に設置された電撃発生装置の前に着席させられます。
それぞれのスイッチは連続して15ボルトから450ボルトまでにわたる電圧の表示がなされており、隣説したスイッチのまとまりには、「わずかな衝撃」から「危険:ひどい衝撃」さらには単に「XXX」と書いただけの最高水準までの表示がなされていました。
スイッチを押し下げると、電撃のブザーが鳴りライトが光り、電圧計が右に揺れる仕組みです。
実験が始まると、学習者の誤るたびに実験者は教師役の参加者に電撃発生装置の強度を1つ上げるように指示されます。
この時、学習者は実験の協力者であるため、実際にはまったく電撃を受けていません。学習者役の人は厳密な台本に従っていました。その台本による苦痛を訴える声は、隣接した壁越しに聞くことができました。
電撃の強度を上げて150ボルトになると、ますます激しく苦痛を訴え、学習者は台本通りに、この研究から解放してくれ!と訴えました。そして、300ボルトで壁を蹴り始め、さらなる電撃の強度では、もう質問にも答えず、何の音も立てませんでした。
ここまできてようやく、多くの教師役の参加者が、実験者に停止を宣言するように申し述べ、この耐えがたい手続きに意義を唱え始めました。しかし実験者の返答は「続けて下さい」とか、「実験にはあなたが続けることが必要なのです」とか、「あなたには選択の余地はありません。続けなければなりません」などの解答でした。
権威への服従は、教師役の参加者が続けるのを拒否するまでに与えた電撃の最大量によって測りました。
この実験の予想の段階では、150ボルトに達したらほとんどの参加者は続けることを拒み、300ボルトでは4%、450ボルトまでやり遂げられるのは1%にも満たないだろうと推測されていました。
実際、ミルグラムの実験はどんな結果になったのでしょうか?なんと65%の参加者が一連のショックの終わり(「XXX」と表示された450ボルト)まで、ずっと続けていたそうです。学習者は300ボルトを与えると壁を蹴り始めますが、それより前に止める参加者は1人もいなかったそうです。(以下、ミルグラム実験の参考動画です。)
このミルグラムの実験の結論は、自分の間違いを認めるよりも悪い行動を続けるほうがたやすいときもあることを意味しています。その理由こそが『自己正当化』にあります。ミルグラムの実験に参加している際、なぜ、「気が変わりました。私はこれをすることが正しいとは思えません!」と白状することが難しいのでしょうか?その答えの一部は、人は首尾一貫しないのを嫌うためです。
例えば、今回のミルグラムの実験においては、参加者の視点として電撃を与えるのは「問題を間違える相手が悪い」と認識することもあるかもしれません。そして、75ボルト→100ボルト→150ボルト→200ボルトと電撃の強さを上げていくと途中で辞めるのが難しくなるのです。どういうことかというと、首尾一貫の性質の真逆のことを考えると分かりやすいかもしれません。つまり、人は一貫しない認知(思考)は不快感を伴うようになっているのです。このことを認知的不協和理論と言います。
例えば毎日、人工甘味料入りのビールを飲んでいる人がいるとします。その場合、次のように思えば認知的不協和を減少できるかもしれません。「長い目で見れば人工甘味料やお酒が体に悪いことを知っている。だけども、私は美味しいお酒を飲んだ方がリラックスできるし、幸せを感じるのです。」との思想になる人もいるでしょう。
またこの認知的不協和を宗教に当てはめて考えた場合、次のことが予想されます。
仮に宗教による洗脳が一年→三年→五年→十年と長い時間が費やされたとします。その場合、それまでに宗教に費やした時間が長ければ長いほど、自分のやってきた行いが無駄になる恐れや不安に結びつき不快感が生まれたりします。この不快感が認知的不協和の状態になります。その認知的不協和(不快感)が強ければ強いほど、別の考えを探そうとします。結果的に別の解釈を取り入れることによって引き続き宗教活動を行う状態が続いてしまうのです。
つまり、認知的不協和(認知による不快感)を訂正することによって、行動のほうが維持あるいは正当化されるのです。このことを合理化と言います。
ここで大切なポイントは自分にとっての価値観と相手にとっての価値観は違うということに注意する必要があります。
ここで一つ実験して見ましょう。まずは以下の画像をご覧ください。
いかがでしたか?
上記の画像は若い女性に見えるという人もいれば、おばあちゃんに見える人もいると思います。
ネックレスをつけた若い女性が後ろを振り返っているのをイメージした人は、もう一つの捉え方を紹介します。今度は若い女性の顎を大きな鼻に見立てて、そしてネックレスの部分を口に見立てた上で画像をもう一度見てみて下さい。すると不思議なことに老婦人に見えてこないでしょうか?
つまり物事は見る人の立場や状況において変化するのです。そのことを示してくれるもう一つの画像を紹介しておきます。
以下の図はルビンの壺と呼ばれており、黒い壺か一対の白い顔になる多義図形です。ルビンの壺を見る際の注意点としては、顔と壺の両方を見れることを『知っている』としても、両方を同時に『見ている』訳ではないとされています。つまり仮に、両方同時に見えていると思い込んでいたとしても、単に脳神経による情報処理の切り替えを素早くおこなっているにすぎません。
このルビンの壺を別の表現で用いれば、数字の6は、数字の9にも見えるということです。
これは宗教(創価学会)においても当てはまります。宗教を信じて素晴らしい対象物だと捉えていた場合、プラシーボ効果などの理由により本当に良き効果が得られる場合もあります。反対にお経(マントラ)を読む際、漢字を読むだけで功徳(良いこと)があるっていうのは理屈がないと解釈する人もいると思います。
つまり、物事の良し悪しを決めるのは、人それぞれの立場や解釈によって異なります。そのため、宗教(創価学会)の信仰をするのも・しないのも個人の意思を尊重することが大切だと思います。
つまり、自分にとっての正しさ(合理化)=相手にとっての正しさ(合理化)ではないということです。
ちなみに、合理化により、自分の考えは正しいのだと思い込むことを自己正当化と表現したりします。
そしてこの合理化は防衛規制の一つだと覚えておくと良いでしょう。っていうことで次は防衛機制について見ていきます。
防衛機制について
以下、主な防衛機制一覧です。
- 抑圧:あまりに恐ろしいことや苦痛な記憶を意識から締めだすこと。
- 合理化:合理的に行動したように見えるように、自分の行動に論理的または社会的に望ましい動機を当てはめること。
- 反動形成:正反対の動機を強調することによって、ある動機を隠すこと。
- 投影:自分自身の望ましくない性質を強調して他人のものとすること。
- 知性化:抽象的、知性的用語を用い、ストレス状況に対処することによって、そこからの離脱を図ろうとする試み。
- 否認:望まない現実の存在を認めることを拒むこと。
- 置き換え:ある形態では満足することのない動機が、新しい方向に向けられること。
宗教における洗脳を受ける際、防衛機制が働いていることがあります。
10年以上にわたり、宗教(日蓮大聖人の仏法)の洗脳を受けていた私自身の実体験を元に説明すると、まず布教(勧誘)活動をすることは家族のためになり、他人のためになり、国のためになり、そして世界や神仏のためになると信じていました。今思えば、その際あったのは、合理化が働いてことに気づくことができます。つまりそれは自分の都合の良い理由を当てはめた結果だったということです。
そして私が勧誘を受けたのは16歳だったこともあり、知識の未熟さから家族は宗教活動に対して反対の声をあげていました。しかし、その反対の声に対しても「何事もやってみないと分からない!」と言ってしまう自分がいたのです。ここには否認が該当します。
そして、家族と喧嘩し、友だちが離れ、孤立する中で不安などの感情が生まれます。しかし、同時に自分がやっていることは正しいことだ!って合理化も働いているため、その不安の源を自分の中に見ようとしないのです。そして、洗脳を受けていた当時、巨大地震の連発が起こる!とか中国が侵略してくる!とか言われていた私は、不安のでどころを中国や地震に当てはめていました。ここには投影の機能が働いています。(ちなみに投影により自己正当化が起こることもあるため、投影の概念は合理化の一形態でもあるとされています。)
このように宗教における洗脳は、無意識に防衛機制が働いていることが多くあります。ですので洗脳を解くためには、防衛機制の働きや心理学を学ぶことが役に立つことがあります。
おまけ
おまけとして、有徳王・覚徳比丘の故事の話を紹介します。
仏法(正法)がまさに滅びそうになっている時、一人の正法を堅く受持した僧侶がいました。名前を覚徳比丘(かくとくびく)と言います。その時にまた仏法(正法)を誹謗する無道心の悪僧が大勢いました。これらの悪僧達は覚徳比丘が正法を説くのを聞くと、皆悪心を生じ、刀を持って覚徳比丘を殺害しようとしてました。この時の国王を有徳王(うとくおう)と言います。覚徳比丘が危害を加えられそうになっていることを聞き、護法のために直ちにその場にかけつけ、悪僧達と激しく戦いました。この有徳王の奮戦により、覚徳比丘は辛うじて殺害を免れることができました。しかし、王はこのとき全身に傷を受けてしまい、そのありさまは傷がない部分がない程でした。これを見た覚徳比丘は有徳王に対して次の言葉を伝えたそうです。
『善きかな善きかな、王今真に是れ正法を護る者なり、当来の世に此の身まさに無量の法器と為るべし。』
つまり、有徳王は正しい法を守護した故に、必ず成仏が叶うと労い誉めているのです。この言葉を聞いた有徳王は大歓喜が込み上げたそうです。そして、幸福を感じながら命を終えた後、成仏しました。っていう故事になっています。
この記事を読んでいるあなたには有徳王のように自分の命を賭してでも守りたいものってありますか?
是非とも、あなたはあなたの信じた信念を大切にして下さいね。この記事を読んでくれたあなたの命にも喜びや幸せが結びつくことを願っています。
この記事では人の認識における捉え方や心理学(防衛機制)などについて見ていきました。つまり、私が伝えたいことは、『この世界は、あなたの心(意識)による写し鏡』ということです。その心のことを私たちは命って表現するのかもしれません。
あなたの命は他の誰のものでもありません。あなただけのものです。と同時に私たちはこの宇宙の視点で見るとき繋がっているのだとも感じます。例えば私たちの存在は大海にある一滴の水のような存在だと思います。一滴一滴の水が綺麗になればこそ海も青く澄み、一つ一つの星が輝けばこそ宇宙が美しく見え、そして一人一人の命が幸せを感じる時、この世界に平和が築かれるのかもしれません。
そして忘れないでください!あなたの命の道を決めるのは他人ではありません。あなたの命に喜びや幸せを運ぶのは、この世界(宇宙)でたった一人しか存在しません。それはあなただけなのです。
最後に私の好きなMr.Childrenの曲の歌詞を紹介して、この記事の締めくくりにしたい思います。
『価値観も理念も宗教もさ ひとつにならなくていいよ 認め合うことができるから それで素晴らしい(中略)
ひとつにならなくていいよ 認め合えばそれでいいよ それだけが僕らの前の暗闇を優しく散らして光を降らして与えてくれる』
Mr.Children:掌
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