宗教(日蓮正宗)による洗脳の解き方!

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  • 日蓮大聖人の歴史とは?・・・
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日蓮正宗の現在の信者は約80万人程いるとされています。世間の認識ではあまり知られていませんが、日蓮宗と日蓮正宗は違います。又、宗教団体で有名な創価学会や顕正会もかつては日蓮正宗が率いる法華講という組織の一つの講中でした。要するに日蓮正宗も創価学会も顕正会も昔は仲間だったということです。しかしながら日蓮宗と日蓮正宗が分断したように、日蓮正宗の中においても、枝葉が分かれるごとくに組織が分断して今に至ります。もし仮に組織の分断がなければ、今頃は信者の会員数一千万人を超える日本で一番大きな力をもった宗教団体になった可能性すらありえます。

今回、記事タイトルにもあるように、日蓮正宗の洗脳の解き方を紹介していきますが、誤解のないようにまず最初に伝えておきます。この記事では日蓮正宗の信仰を否定・批判するつもりは毛頭ありません。むしろ本人とって信仰するのが大切なことだと感じるのであれば積極的に活動に取り組んでもいいと思います。つまり個人の意志の尊重こそが最重要だと考えています。

ではここから先本題に入ります。

日蓮大聖人の歴史

まず始めに日蓮大聖人の歴史について、年代順に見ていきましょう。

【貞応元年】(1222年)安房国(千葉県)長狭郡東条の郷小湊に生まれる。

【天福元年】(1233年)12歳の当時の頃の名前は『全日麿』でした。幼少の時から仏法を学ぶ志を立てられ清澄寺に登り、住職・道善房のもとで修学の第一歩を踏み出します。

【嘉禎3年】(1237年)剃髪し、名前を『是生坊蓮長』と改めます。

【建長5年】(1253年4月28日)32歳の春、清澄寺で立宗宣言します。名前を日蓮と改め、仏法(三大秘法)の弘通を開始されます。

【正嘉元年】(1257年)5月・8月・11月の三度の大地震が鎌倉で起こる。

【正嘉2年】(1258年)台風や大洪水等の異常気象が起こる。

【正嘉3年】(1259年)大飢饉が起こる。

【正元元年】(1259年)大疫病が流行る。

【正元2年】(1260年)大疫病やまず、国中の大半の人が死に至るという状況に至る。

【文応元年】(1260年7月16日)巨大地震などの天変地夭は他国から侵略される前触れであることを悟り、立正安国論を時の国主・北条時頼に奏進する。

【文応元年】(1260年8月27日)日蓮大聖人を憎む念仏者たちが松葉ヶ谷の草庵(日蓮大聖人の居住地)を襲撃する。夜打ちを企てた暴徒は武器を手に持ち草庵になだれこんだが、そこに日蓮大聖人はいなく、腹いせに草庵を破壊し引き上げます。(一説によれば、襲撃を予感した猿が日蓮大聖人を導き護ったとされています。)

【弘長元年】(1261年5月12日)生存が見つかり伊豆へ流罪される。執権・北条長時が日蓮大聖人を憎む父(北条重時)の心を知って、ただの一度も取り調べることなく断行したものとされています。

【弘長3年】(1263年2月22日)北条時頼が人の讒言による冤罪と知って赦免状を発し、1年9ヶ月続いた伊豆流罪が終わる。

【文永元年】(1264年11月11日)房州小松原において、東条景信率いる軍勢が日蓮大聖人を襲撃するという小松原の剣難が起こる。この時、東条景信が太刀を振り下ろし日蓮大聖人の額に12センチの傷を負わせたとされています。

【文永5年1月18日】大蒙古より「属国となって朝貢しなければ侵略する」という旨の国書が到来する。

【文永5年】(1268年10月11日)日蓮大聖人は日本国を救うべく、公場対決(国王・大臣等の面前で行う法論)を以て仏法の正邪を一挙に決めようとされます。公場対決申し入れの書状は為政者や諸宗の代表者等の11箇所に送られましたが、いずれも拒絶や無視などの反応だったとされています。

【文永8年】(1271年9月12日)国家権力を用いての理不尽な死刑が決断されます。文永8年9月12日の夕方頃、平左衛門は数百人の武装兵士を率いて日蓮大聖人の草庵を襲ったとされています。その日の午前零時頃、数百人の武装兵士の警護のもと死刑執行場である竜の口に進まれます。やがて若宮小路を出て鎌倉八幡宮の前にさしかかったとき、日蓮大聖人は立ち止まり、次の言葉を声に出したそうです。

「各々騒がせ給うな。別の事はなし。八幡大菩薩に最後に申すべき事あり。

いかに八番大菩薩はまことの神か。・・・

今日蓮は日本第一の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を謗じて無限大城(無限地獄)におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国をせむるならば、天照太伸・正八幡とても安穏におはすべきか。其の上、釈迦仏 法華経を説き給いしかば、・・・

各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮が申すまでもなし、急ぎ急ぎこそ誓状の宿願をとげさせ給うべきに、いかに此の処には落ちあわせ給わぬぞ。

日蓮今夜頸切られて霊山浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請を用いぬ神にて候いけれと、さしきりて教主釈尊に申し上げ候わんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ御計らいあるべし」

成道御書

つまり鎌倉八幡宮の前で、「どうか守ってください」と嘆願しているのではなく、「なぜ守らぬのか」と叱責した上で、八幡大菩薩に対して「急いで、考えを改めるべし!」と申し付けたとされています。

その日の午前3時頃、竜の口刑場に辿り着きます。そして太刀取りの越智三郎が日蓮大聖人の側に立ち、死刑を執行すべく太刀を振り下ろそうとします。その瞬間、突如として巨大な満月のような光り物が出現し太刀取りの越智三郎は目がくらんでその場に倒れ伏し、又、光の衝撃により太刀がいくつにも折れてしまい、結局のところ日蓮大聖人を殺すことが出来なかったとされています。

先程の言葉を兼ね備えて、光り物の現象を見るとき、日蓮大聖人が諸天善神を動かしたものとされています。またそれは同時に御本仏としての絶大威徳を示したものとされています。

【文永8年】(1271年10月10日)幕府は評議を重ねた結果、日蓮大聖人を佐渡へ流罪します。

【文永11年】(1274年3月13日)日蓮大聖人に一分の罪もないことを知った北条時宗が赦免の決断を下し、佐渡への流罪は2年6ヶ月で終わったとされています。

【文永11年】(1274年4月8日)再三に及ぶ国家諌暁を行い、今年中に大蒙古が侵略してくることを予言されます。

【文永11年】(1274年10月5日)文永の役起こる。蒙古の軍兵2万5千人が本格的な侵略を始めようとするタイミングで嵐があったため本国に引き揚げたとされています。

【弘安2年】(1279年10月12日)本門戒壇の大御本尊建立される。

【弘安4年】(1281年5月)弘安の役起こる。兵力は前回の約6倍に増え14万2千人が海を渡ってきたとされています。しかし、本土侵攻のタイミングで、またしても暴風雨が荒れ狂い、台風によって撤退を余儀なくされることになります。日本が滅びなかった理由は二つあるとされています。一つ目は竜の口の法難の際、頸を切ろうとしたけど光り物の現象により切れなかったからという解釈があります。つまり、日本の柱(仏)は倒されようとしたけど倒されなかった故に、日本国も滅ぼされようとしたけど滅びなかったとされる説があります。そして二つ目は、日蓮大聖人が諸天善神を動かして台風を引き寄せたとする説です。(以下参照)

聖人国に在るは、日本国の大喜にして蒙古国の大憂なり。諸竜を駆り催して敵舟を海に沈め、梵・釈に仰せ付けて蒙王を召し取るべし。君既に賢人にましまさば、豈聖人を用いずして徒に他国のせめを憂えんや

滝泉寺申状

【弘安5年】(1282年5月29日)第91代後宇多天皇は、日蓮大聖人が国を思う誠実さを褒められ、「朕、他日法華を持たば、必ず富士山麓に求めん」との下し文を与えたとされています。

【弘安5年】(1282年4月8日)太田金吾に三大秘法抄を与えられる。

【弘安5年】(1282年9月)日興上人に本門戒壇の大御本尊を付属し滅後の大導師に任ぜられる。

【弘安5年】(1282年10月13日)8時頃、61歳にして御入滅されると同時に大地がゆらゆらと揺れ動き、また桜がいっせいに咲き乱れたとされています。

日蓮正宗による洗脳の解き方!

ではここから先、本題である洗脳の解き方について見ていきましょう。

まず先に、洗脳を解くために必要な結論を3つ紹介します。

  1. 日蓮正宗で説かれてる内容に矛盾点はないか?を探す。
  2. 5W1Hを明確にし、それは事実か否かを俯瞰的(客観的)に見てみる。
  3. 世界の人々を裏側で管理している存在に気づく

以下、それぞれ具体的に解説していきます。

日蓮正宗の矛盾点とは?

日蓮大聖人の歴史を見ていく上で一番大切な観点は、三大秘法を持って人々を救うというところにあります。三大秘宝とは本門の本尊と本門の題目と本門の戒壇とされています。

「問うて云く、如来(釈尊)の滅後二千余年、竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法何物ぞや。答えて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」

法華取要抄

「此れ(三大秘法)は是れ、文底秘沈の大事、正像未弘の秘法、蓮祖出世の本懐、末法下種の正体にして、宗門の奥義此れに過ぎたるはなし」

文底秘沈抄

本門の本尊と本門の題目においては鎌倉時代において完成されていますが、本門の戒壇においては、広宣流布の時に国立戒壇を建立すべし!との御唯命があります。御唯命の戒壇が国立戒壇にあたることは以下の記事にまとめていますので、ここでは詳細を省きます。

日蓮正宗は元来、血脈というものを大事にしてきた歴史があります。なぜ血脈が大事なのかと言うと、それが三宝に直結するからです。三宝を大切にするのは仏教全般に言えることです。例えば聖徳太子が十七条の憲法の中で次の一節を用いています。

篤く三宝を敬え、三宝とは仏と法と僧なり。

十七条の憲法(第二条)

では、日蓮正宗における三宝(仏法僧)の定義について見ていきましょう。

日蓮大聖人
本門戒壇の大御本尊
日興上人・代々御相承を受け継いできた歴代上人

「仏宝、即ち是れ蓮祖大聖人なり(中略)法宝とは、即ち是れ本門の大本尊是れなり(中略)僧宝とは、即ち是れ開山上人なり」

二十六世・日寛上人(当流行事抄)

ここで話を血脈に戻します。日蓮大聖人はお悟りの全て(本門戒壇の大御本尊)を日興上人に託されます。これを唯授一人の血脈相承と言います。そして本門戒壇の大御本尊を国立戒壇に安置すべし!と御命令されます。ちなみに日興上人は日目上人に対して血脈相承を行っています。

日興が身に宛て給わる所の弘安二年の大御本尊 日目に之を授与す、本門寺に懸け奉るべし。

日興跡条条事

日蓮大聖人からの御唯命を受けて第二祖日興上人・第三祖日目上人並びに以下歴代上人は、国立戒壇を建立するという意志を大事にされてきました。

例をあげれば次のようになります。

「宗祖・開山出世の大事たる、政仏冥合・一天広布・国立戒壇の完成を待たんのみ」

五十九世・日亨上人(大白蓮華十一号)

「唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヶ所だけが事の戒壇でありて、その事は将来に属する」

五十九世・日亨上人(富士日興上人詳伝)

「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり」

六十四世・日昇上人(奉安殿慶讃文)

「蓮祖は国立戒壇を本願とせられ、これを事の戒壇と称せられた」

六十五世・日淳上人(日淳上人全集)

「大聖人は、広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立される。その戒壇を本門戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によって明白であります」

六十五世・日淳上人(日蓮聖人の教義)

「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」

六十六世・日達上人(大白蓮華35年1月号)

「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」

六十六世・日達上人(大日蓮35年1月号)

「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」

六十六世・日達上人(大日蓮・36年5月号)

創価学会においても曽ては国立戒壇建立を目的にしていましたが現在では完全に否定しています。その理由としては公明党が政治進出する上で「国立戒壇」という概念が邪魔になったためです。しかし、創価学会の会長(池田大作)一人だけが「国立戒壇」を否定しても会員は誰も信じません。そこで目をつけたのが上人という立場の地位(権力)でした。結果、創価学会と日蓮正宗は手を取り合い共に「国立戒壇」を共に否定するようになります。そして変わりに「正本堂」という建物を作り、その正本堂を指して「御遺命の戒壇」というようになりました。

そして、六十七世・日顕上人は「国立戒壇の誤りについて」という本を執筆されます。この本の概要は「国立戒壇は憲法第二十条に定められた政教分離の原則によって違反になる」と記載された上で三大秘法抄で説かれている内容においても自分勝手な解釈(己義)が用いられています。一例を示すと以下の通りになります。

  • 「王法」=「政治をふくむあらゆる社会生活の原理」
  • 「王臣一同」=「民衆一同」
  • 「有徳王」=「池田大作先生」
  • 「勅宣並びに御教書」=「すでに現憲法の信教の自由の保障によって実現されている」※別の書物(本門事の戒壇の本義)では「勅宣・御教書」を「建築許可証」と解釈されています。
  • 「時を待つべきのみ」=「現在も王仏冥合の時と云える。現在戒壇建立の意義をもつ建物を建てるべき時である」

自分勝手な解釈のことを己義と言いますが、その己義を用いているのが管長という立場にいる日達上人(第六十六世・管長)や日顕上人(第六十七世・管長)だからこそ厄介なのです。大切なことなので繰り返しますが、創価学会においても、日蓮正宗においても、昔は国立戒壇を目的としていましたが、その国立戒壇を否定しているのが問題なんです。それだけではなく、正本堂という偽物の戒壇を作り、信者を騙していたのも大きな問題点です。(以下参照)

「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」

六十六世・日達上人(大白蓮華201号)

宗祖大聖人の御唯命である正法広布・事の戒壇建立は御本懐成就より六百八十数年を経て、現御法主日達上人と仏法守護の頭領・総講頭池田先生により、始めてその実現の大光明を顕わさんとしている」

六十七世・日顕上人(昭和42年・正本堂発願式において)

結果的に創価学会や日蓮正宗が御唯命の戒壇と讃えた正本堂は完成後26年で崩壊していますが、今現在においても国立戒壇を否定しているのは矛盾した話です。

5W1Hを明確にし、それは事実か否かを俯瞰的(客観的)に見てみる。

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5W1Hとは、以下の英単語の頭文字をとったものです。

『When:いつ』・『Where:どこで』・『Who:誰が』・『What:何を』・『Why:なぜ』・『How:どのように』

5W1Hの観点から日蓮大聖人の歴史を見た場合の一例を示すと次のようになります。

When1253年4月28日
Where清澄寺で
Who日蓮大聖人が
What立宗宣言を
Why広宣流布のため
How決意を固め、合掌し南無妙法蓮華経と唱える。

5W1Hを明確にした次は、Whyをさらに深掘りしていくのがオススメです。例えば、立宗宣言したのはなぜ?という問いに対しては広宣流布と記載していますが、ここでさらに、広宣流布を目指すのはなぜ?という疑問を重ねていきます。すると、仏国実現するためとかの答えが見えてきます。そうしたら、さらにまた、Whyを繰り返し当てはめ考えていきます。つまり、仏国実現するのはなぜか?という質問がでてきて、それに対する新しい答えとして、全人類を成仏させるためなどの解答になることもあるかもしれません。

このようにWhyを繰り返し深掘りし、物事に筋道を立てて矛盾点をなくしていきます。このことをロジカルシンキング(論理的思考)と言います。そして、筋道を立てた一つの論理に対して今度はその出来事が本当に事実か否かを見ていきます。要するに物事を疑ってみるということです。このような批判的思考のことをクリティカルシンキングと言います。なぜそのような思考法が大事になってくるのかというと、物事を客観的かつ俯瞰的に見ていくためです。

ではここで、クリティカルシンキング(批判的思考)を用いて、日蓮大聖人の歴史を見ていきましょう。

1253年4月28日、清澄寺の頂に立たれた日蓮大聖人は太陽に向い「南無妙法蓮華経」と唱え立宗宣言されたとされています。このことを批判的に見た時の結論としては、本当に立宗宣言をしたのかは誰も分からないというのが一つの答えになってきます。なぜなら現代社会に生きる私たちは、立宗宣言された時の様子を誰も見ていないですし、そもそも、令和の時代に生きる私たちにおいては日蓮大聖人の顔を見た人すらいないのです。ですので竜の口の法難や諸天善神を動かしたとされる現象等は誰も事実確認出来ないのが現状です。

ここで大切なことは歴史は時に嘘をつくことがあるということです。

例えば、3.11(東日本大震災)の時は人工地震の可能性があったり、9.11の時は、実は飛行機が突撃していなかったりする可能性があります。(以下参照)

3.11や9.11だけじゃなく、本当の歴史の内容が隠されていることは多くあります。最近であれば新型コロナウィルスとされるものがそうです。コロナが流行したとされる当初の報道によると、感染力が高く、一度感染してしまえば命を落とす危険なウィルスとのニュースが枚挙にいとまがないぐらいに新聞やテレビで流れていました。しかし本当にそうでしょうか?

結論から言うとコロナは茶番です。いわゆる普通の風邪と変わらないことを日本感染症学会も認めています。現在、感染者を特定するためにPCR検査が使用されていますが、このPCR検査は陽性者を確認するためのものであって、感染者を特定するためのものではありません。あくまでPCR検査は遺伝子情報の一つに過ぎません。

例えば、大城花子さんという人物がいたとします。その人を判断するためには顔や体などの全体を見る必要がある訳ですが、女性の『右手』とか、『小指』だけを頼りに見て、この形は、大城花子さんだ!と断言しているようなものなのです。もっと分かりやすく例えると、指先の『爪』だけを見て、この爪の形は大城花子さんだ!と断言しているような状況です。爪だけでしたら、右手の爪なのか、左手の爪なのか分からないこともあるでしょうし、なんなら男か女かの違いも分からないと思います。ましてや、爪だけを頼りに特定の人物を判断するのは極めて困難です。

PCR検査はまさにこれに似たようなことをしているのです。つまりPCR検査では感染者か否かの判断は出来ないのです。このことはPCR検査開発者のキャリーマリス氏本人が言っているのです。しかし、メディアはそのことを隠し陽性者を感染者にすり替え、感染爆発が起きています!等の嘘の情報を流しているのが現状です。ちなみにPCR検査では水道水や果物でも陽性になる場合もあります。

以下、コロナ茶番について詳しくまとめた記事となっています。

繰り返しになりますが、歴史は嘘をつく時があります。つまりそれは日蓮大聖人の生きた歴史においても同じことが言えるのです。

しかし、ここで百歩譲って日蓮大聖人の歴史が全て事実上あったことにしましょう。それならそれで疑問点がでてきます。例えば、仏様は、星・月・太陽などの諸天や、天照大神・八幡大菩薩などの善神を動かすことができる力をもっているとされているのに、なぜ当時(鎌倉時代)で広宣流布し平和の土台を築きあげなかったのでしょうか?又、未来を見通す力もあるはずなのに、なぜ広宣流布になる日付を具体的に示さなかったのでしょうか?結局のところ、確信に至る要素をあいまいにし、救われるためには信じる心が大切等と言って信者をマインドコントロールするのが宗教の常套手段なのです。

ここで自分が仮にこの世界の支配者側の立場になって物事を考えた場合、人々を支配・コントロールするためには宗教が好都合だと考えます。例えば、魚を管理して利益をあげたい場合、水族館を用いて毎日餌をあげるようなものです。つまり、水族館で魚を育て、海の広大さや、何処へでも泳いで行ける自由さなどを忘れさせてしまうようなものです。もし自分が支配者なら、人のだすエネルギーや労働力、あるいは意識の力などが欲しいと考え、不安や恐怖、あるいは救いや功徳という餌をばら撒き自由を制限すると思います。

要するに、神や仏に救いや助けを求めるということは、自分には力がないと思わせるのに都合が良いものだと思います。つまり自分軸を忘れさせ他人軸にするのに活用しやすい一つのシステムこそが宗教であると考えます。そして人は他人軸にさせた方がコントロール(支配)しやすいのです。

次章では、人々をコントロールする『支配者側』というのは何者なのか?について紹介していきます。

この世界を裏で操る支配者とは?

この世界の人々を裏側で支配している人達のことをDS(ディープステート:deep state)と言ったりします。DSの特徴としては、金融・政治・宗教・教育・メディア・産業・戦争などを裏でコントロールしたりしています。そのため闇(影)の政府と表現されることもあります。

ここで、コロナに関する事柄を一例にとって考えてみましょう。例えば、場所によってはPCR検査やコロナワクチンが無料で受けられることになっていますよね。又、PCR検査やコロナワクチンを受けることによって商品権がもらえるところもあります。

しかしよくよく考えてみれば、私たちのお金(税金)でコロナワクチンなどが購入されているのが現状です。又、飲食店などの時短営業を行なった際に発生する協力金や、医療従事者がコロナ患者とされる人をケアした場合には危険手当などが発生しますが、これらも元は税金です。

つまり、私たちの税金は国に納められます。そして国は大手企業などにお金を渡すことがあります。コロナワクチンの例で例えると、ファイザーなどが該当します。

そして、大手企業は銀行などにお金を納めます。そして銀行のお金は一部の権力者・支配者に流れていきます。権力者として有名なのはロックヘェラーやロスチャイルドなどが有名ですが、さらに上の権力者も存在します。そして、その権力者の上にさらなる上の権力者も存在する形となっているため、現代社会のことをピラミッド社会と表現する人もいます。(以下参照)

上記のピラミッドの仕組みやDSのことは一般的に陰謀論とされています。

現代社会において陰謀論は事実無根の意味として解釈されることも多いですが、一旦立ち止まり、陰謀論の意味における定義を考えていきましょう。辞書にある陰謀論の定義には次のように書かれています。

ある事件や出来事について一般的に認められている説とは別に策謀や策略によるものであると解釈する考え方。強大な権力を持つ人物あるいは組織が一般市民に知られないように不正な行為や操作を行っているといった推論・主張が多い。

コトバンク

陰謀論を見ていく上で重要な視点は、それが事実か否かというところです。ちなみに今後のDSによる隠謀(計画)としては、コロナ(オメガ株)やサル痘などがあげられます。

ここで大切なことは、メディアがコロナやサル痘などの感染を報じる前に、既に流行させる計画があることを知っている人達がいるということです。例えば、厚生労働省の発表によると、日本では7月25日(月)に東京都内において初めてサル痘の感染者が確認されたとされていますが、DS側の計画を知っている人であれば、7月以前にサル痘が流行してくることを知っていました。またコロナにおいては最終的な株としてオメガ株が準備されているそうですが、2023年4月頃には指定感染症5類から2類へ引き下げられ収束していくことがダボス会議により決定されているそうです。しかしながらコロナの洗脳が深い人においては引き続きマスク着用をしていくものと思われます。

そもそもなぜコロナ茶番を流行させたのでしょうか?それは多くの人にワクチンを打ってもらう必要があったためです。なぜワクチンを接種させる必要があったのかというと、その目的は人口削減にあります。ワクチン接種して免疫機能が低下する可能性があることは、ワクチン会社の人たちや多くの医者も警告してましたし、人口削減を示唆することはDSサイドのビルゲイツなどが堂々と包み隠さずに話してました。ではなぜ人口削減をする必要があるのでしょうか?一説によれば2040年頃には海面が60m上昇するためだと言われています。(以下参照)

ここで大切になってくる観点は、海面上昇が本当に来るのか来ないのか?っていう部分ではありません。そしてDSの事について調べ深掘りすることでもありません。

海面上昇しようが、しまいが、いずれ人は死にます。ワクチンにおいても然りです。ワクチンを接種しようが、しまいが、人はいつかこの世を去る時がくるのです。

ちなみにDSが敷いてきた洗脳の中で最も厄介なのは「死ぬのは怖いこと」とされるものだと思います。そして、死の恐怖を植え付けるために、宗教では成仏とか地獄という概念を取り入れ、地獄に行かないようにするためには宗教を信じる必要があると思い込ませているものと思われます。

要するに支配者(DS)たちは国民を管理しやすいように様々な方法を使用してきます。宗教はその中の一つに過ぎません。

しかし、そんなことどうだっていいんです。それはつまり、DSが仏教を作っただとか、作ってないとか、今後の支配者側の計画があるとか、ないとか、どうでもいいってことです。

大切なことは本来の自分と繋がることです。そして自分が望む世界線を自分自身で作っていくことだと思います。他人への依存や他人からの期待に応えるだけの人生では自分の力を失います。他力本願という意味では宗教も同じです。つまり神様とか仏様を崇拝しすぎることにおいても同じことが言えます。

実体験を例にあげると、高校一年生の頃に宗教(顕正会)の勧誘にあった私は、いつの日か、自分自身の力(内側)よりも仏様の力(外側)を崇拝し信じるようになりました。そして多くの友人を勧誘(折伏)していきました。そこでいろんな反発が受けることになります。例えば家族で言うと、「家から出て行け!」とか「宗教やるならご飯あげない!」とか、時に叩かれることも何度もありました。しかし家族だけではありません。自分が友だちと思っていた人からも、暴言・暴力は無数にありました。

人を救おうと思って、宗教を進めているのに、時に殴られ、時に蹴られ、時に罵詈雑言の影響から心にダメージを受けてしまいます。次第に勧誘することに抵抗感を覚えますが、宗教の教えでは、人が地獄に堕ちることなく成仏する方法は、宗教を信じる必要があるとの答えのみでした。

仕方なく、心の抵抗感を感じながらも、多くの人に宗教勧誘を行っていった結果、喋るのが苦しくなりました。そして、成人するまではなかった吃音(吃り)の症状が現れてくるように至ります。

吃音とは、言葉の詰まりを意味します。特徴としては特定の場所での会話や特定の言葉などが言いづらかったりします。例えば、会社内でおはようございます!って言うときに、お・お・おはようございますって言ったり、時には言葉が出ないことすらあります。私の場合は、買い物に行く際、「レジ袋下さい」の一言などが言いづらかったりします。吃音症になる人は感受性が強い人や天才肌とされる人に多いとされていますが本人にとっては滅茶苦茶辛い症状になります。

次第に精神的な辛さなどから宗教に対する違和感を感じ、脱会を決意するに至ります。心にダメージを受けるという観点においては学校や職場でも同じことが言えると思います。つまり、他人軸でいるとメンタルが疲弊し、自分を見失ってしまうことに繋がるのです。

繰り返しになりますが、大切なことは学校の先生や職場の上司、あるいは神様や仏様などの他人軸ではなく、自分自身(自分軸)と繋がることだと思います。そのためにも、今目の前で自分がなすべき事に集中することが大切なのではないでしょうか?自分がなすべき事に集中して取り組んでいけば、きっと道はいい方向に進むと思います。例えばイチローや大谷選手などが、そのことを示しているように思います。

私たちが決意をして今を頑張ったとて、明日急にイチロー選手や大谷選手のようにはなれません。ただし、イチロー選手や大谷選手のように今を集中することはできると思います。先ずは自分が本当にやりたいことは何なのか?とか自分が好きなことは何なのか?っていうことを自問自答してみることをオススメします。そして今しかないこの瞬間を楽しめたらいいと思います。

まとめ

この記事では宗教(日蓮正宗)による洗脳を解くために三つことを紹介していきました。一つ目には、信じている宗教の教えの中に矛盾点を見つけることでした。二つ目には、物事を客観的(俯瞰的)に見てみることをオススメしました。そして三つ目には、宗教がDS側によって作られている可能性が高いことを紹介していきました。以下、おまけの動画です。⏬

人生とは遊園地のようなものです。遊園地に行った際に、何を楽しむのかを他人任せにするのっておかしいですよね。つまり、正解の形(ピース)は人それぞれ違います。又、遊園地に行った際、感情に任せて乗り物を選ぶように、人生においてもあまり難しく考えなくていいと思います。例えば、ジェットコースターに乗った時にネジが外れて急に落ちたらどうしようとかって思っていると楽しめるのも楽しめなくなります。「人生とは?」とか「宗教とは?」などと考えていても時間は過ぎ去っていきます。また思考のし過ぎは、まるでブラックホールに飲まれるように抜け出すのに苦労します。今、私たちは人生という遊園地にいるのです。そんな時に「あの人はあの乗り物に乗って楽しいのか?」とか「観覧車に乗っても落ちないのか?」っていう思考をぐるぐるしていても、あっという間に夜を迎えてしまいます。遊園地においては自分がジェットコースターに乗りたければ乗ればいいし、メリーゴーランドに乗りたければ乗ればいいと思うんです。なんなら木陰で寝るのも良いと思います。人生においても私たち一人一人にとって最も大切なことがあります。それが自由と呼ばれるものです。

一人一人の自由な人生(ワンピース)が、この世界や宇宙というパズルの要素になると思います。一つ一つのピースに不正解などなく、同時に良きも悪きもありません。何なら全て正解です。それはつまり、自分にとっての良き行動が相手にとっては悪い行動になることもあるでしょうし、自分にとっての正解(丸い形)が相手にとっては不正解(四角の形)に見えてくることもあるのです。答えは一つじゃありません。

ただし、自分の人生の道の答えを自分の中に見つけるのか?あるいは外側の他人や宗教などから答えを探し出そうとするのか?っていう部分においては大きな違いがでてくる思います。大切なことは、あなたの人生の答えはあなただけの心の中にあるということです。そして、あなたの心を幸せにしてあげれるのはこの世界でたった一人しか存在しません。それはあなただけなのです。なぜなら、あなたはこの世界でたった一人しかいないのですから!是非、あなた自身が信じた道を大切にして下さいね。

最後にイチローの名言を紹介して、この記事の締めくくりにしたいと思います。

「小さなことを積み重ねることが、とんでもないところへ行くただ一つの道」

イチロー

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