- 人生に対して生きづらいと感じる自分がいる・・・
- 無意識に食べすぎてしまう自分やお酒を飲みすぎてしまう自分がいる・・・
- 原因の分からない体の緊張・肩こり・頭痛などの症状に悩まされることがある・・・
自分自身による洗脳のことを自己暗示と言ったりします。自己暗示の特徴は自分では自覚できないことがあるというのが特徴となっています。私は14年間に及ぶ宗教の洗脳を体験しており、自ら心理学を学ぶうちに自分自身にあった洗脳を自分で解除した経験があります。また、心理学を学ぶ延長線上でアルコール依存やお菓子の食べ過ぎなどを克服してきました。この記事は私自身の経験を通しての洗脳(自己暗示)を解除する方法お伝えしたものとなっています。そのため、この記事を読むことで得られるメリットは自分の中にある洗脳を解除するということになります。最初に結論を伝えておきます。私たちは常に自分自身の独自のフィルター(投影等)を通して世界を見ているため全ての自己暗示を解除することは極めて困難になります。しかしあえて洗脳を解く上で一番大切になってくる観点を一言で説明しておきます。それは『自分とは何か?』について知ることです。それではこれより先本題に入ります。
自己暗示とは?
自己暗示を一言で説明すれば、思い込みになります。そして思い込みを別の言葉に言い換えれば信念とか信条っていう言葉になります。また、自己暗示のポイントは明示(はっきり示すこと)ではなく、暗示(直接的にはっきり示されていない)ということになります。要するに、人は無意識下において、なんらかの事柄を信じ込んでいる(思い込んでいる)場合があるということです。
自己暗示(無意識による信念)は無自覚に自分自身の自由や豊かさを制限することがあったりします。例えば、『自分らしくありのままに生きたい』とか『自分に自信をもちたい』とか『お金持ちになりたい』と、意識化では思っていても、本人の願いとは裏腹に、願望が実現しない結果に繋がったりする場合があります。つまり、自分自身の(無意識による)自己暗示が人生や物事に対して強い影響を与えていることがあるということです。
自分自身による自己暗示を解除するためには、冒頭でも伝えたように『自分とは何か?』について知る必要があります。自分が自分をどのように捉えているのか?は人それぞれ違います。例えばイチローを例にとって考えてみましょう。
2022年11月3日『高校野球女子選抜』VS『イチロー選抜KOBE CHIBEN』という試合がありました。試合の結果は7ー1で『イチロー選抜KOBE CHIBEN』が勝利しています。その試合でイチローは投手として9回131球14奪三振1失点の功績でチームを勝利に導きます。一方、打率としては4打数ノーヒットの結果となっていました。もし仮に、このイチローの成績の結果を別の人に当てはめて考えたとしても、意識の焦点が『4打数ノーヒット』の部分に当てれば悔しがる人もいると思います。逆に意識の焦点を14奪三振に当てれば誇りに感じたりする人がいてもおかしくありません。
その日の試合終了後のインタビューにおいて、イチローは自身の成績がボロボロでした!と認めながらも試合出来たことに対しては『気持ちよかったです!』と発言されていました。そして、イチローらしいユーモアを交えては場の会場を笑いに変える瞬間も見られています。ここで一旦、イチローの立場になって試合の結果を見た時、何が分かるでしょうか?おそらく女子高生を相手にヒットを打つことが出来なかったことは悔しいと感じたと思います。
しかし、イチローの背中が示していることにお気づきでしょうか?それは失敗や悔しさ=自信の喪失ではないということです。つまり、『自分とは?』を定義する上で大切な観点は自分の『意識の焦点』をどこにおくのか?って部分になります。イチローにおいては様々なご活躍をされており、誰もがその実力を認めることでしょう。特に日米通算4367安打の最多記録は群を抜いての凄さだと思います。そうような実力や記録がある以上、仮に一つの試合に負けたり、ノーヒットだったりしても自信喪失に結びつく可能性は限りなく低いと言えるでしょう。
ここで大切なことは、イチローだからノーヒットでも自信を失わないとか、イチローだからどんな時でも冷静でいられるんだとか、イチローだから何が起ころうと自分自身に対しての信頼と誇りを抱けるんだとかっていうことが言いたい訳じゃありません。ここで伝えたい大切な観点というのは、あくまでも意識のおきどころです。ではなぜ意識のおきどころが大切になってくるのでしょうか?それは、意識のおきどころが、人の捉え方を決めるからです。ではなぜ捉え方が大切になるのでしょうか?それは捉え方が感情を生み出すからです。ではなぜ感情が大切になってくるのでしょうか?それは感情が行動に結びつくからです。そして、人の行動はやがて習慣になり人生となります。
ちなみにイチローの野球人生が上手くいったのは、人並み外れた努力をしているとか、誰にも真似できない実力があるとかは言うに及びません。もう一つ重要なポイントはその努力や実力を支えたであろう捉え方が良かったものだと感じます。一つそれを示してくれるイチローのエピソードを紹介しておきます。
イチローのライバルにアスレチックスのハドソン投手という人物がいます。対戦成績は69打数15安打・通算打率.217となっています。ある時、イチローは何試合も抑え込まれていました。それを見ていた、とあるインタビュアーがイチロー選手に対して次のような質問をされています。「イチローさん、あのアスレチックスのハドソンという投手は、できれば対戦したくない苦手のピッチャーですか?」この質問に対してイチローは次のように答えられています。「いえ、彼は、私というバッターの可能性を引き出してくれる素晴らしいピッチャーです。だから、私も練習をして、彼の可能性を引き出せる素晴らしいバッターになりたいですね」と。
上記のエピソードは私たちにも当てはめて考えることができると思います。人には時として、苦手なことや苦手な人と巡り合うことってありますよね。あるいは、挫折や敗北といった経験をすることもあると思います。その時、人生の出来事から逃げ出したくなる瞬間や、落ち込むようなことがある瞬間もあると思います。その瞬間に大切になってくるのが捉え方ということです。
私のことを例にあげれば、14年間の宗教による洗脳を受けて、友人・家族・親戚など多くの人間関係を破壊したことや、自分のエゴにより人を傷つけてしまった経験などがあります。もしかすると、この記事を読んでいるあなたにも何らかの後悔や何らかの心に浮かぶものがあるのではないでしょうか?その場合、私がオススメする捉え方は次の言葉を使うことです。『それがあったからこそ』例えば、私においては確かに14年間の洗脳は苦しいものでした。ちなみに宗教をやる以前の私においては誰とでも友達になれるという特技を持っていましたが、しかし宗教の勧誘を行うと同時に自分を見失い、そして多くの友人を失う辛さを味わいました。しかし今思うことは、その宗教による洗脳を受けてきた経験が『あるからこそ』今となっては宗教の洗脳で苦しんでいる人たちを助けることができると思っています。そのため現在は自身の経験と知識を活かし洗脳を解除する方法などをYouTubeやブログ記事で情報を発信するようになりました。自分の人生に正対し、深い視点から静かに自分の人生を振り返る時、時として、人は何者かによる導きのようなものさえ感じる瞬間があったりします。それを人は直感と呼ぶのかもしれません。
さてここまで読んでくださった方なら、『自分』の意識のおきどころや『自分』の捉え方が重要になることは理解できたと思います。さて、ここで話を『自分とは?』に戻します。
自分とは?
ちなみに、あなたなら『自分とは?』と聞かれた際、どのように回答しますか?人によって様々な回答があると思います。例えば、自分の名前をあげて『自分は田中です』と答える人もいれば、職業をもって『自分は野球選手です』と答える人もいるでしょう。あるいは自分は優しい人だとか、自分はのんびりやさんですって答える人もいるかも知れません。要するに自分とは?の返答には様々な種類があるということになります。答えは様々ですが万人共通して言える自分の認識というものがあります。それは、『自分は人間』ということです。
人間という漢字は人の間と書くように、私たちは自分を知る上で欠かせないことが人との関係性となっています。例えば、自分以外、誰も存在しない世界があったと仮定して、その世界の何もない真っ白の大地で一人だけポツンと立っていたとしたら、自分を認識することが困難になります。極論を言えば、暗闇以外何もないところで自分が存在した場合、自分とは?の返答が困難になるということです。
自分を知るために必要な条件があるとすれば、『自分』という文字通り、『自らを分ける』ことが大切になってくると思います。例えばアメーバが二つに分裂してお互いを認識するようなイメージです。ここまできたら次のような方程式が成り立つと思います。『自分=人間』それはつまり、『自分を分けた存在』=『人と人の間にいる存在』ということになります。だから昔からよく知られているあの言葉があるのだと思います。その言葉とは、『人は皆、映し鏡』という言葉です。おそらく『映し鏡』という言葉を掘り下げていけば、人だけじゃなく、石・草・木・空気・水・花・国・月・太陽等、全ての万物皆、映し鏡ということに繋がるのだと思います。この見解はあくまで主観ですが、どうやらこの宇宙はそのようになっているように感じます。
そして『人(万物)は皆、映し鏡』という概念が正しいと仮定して話を進めていけば、おそらく究極突き当たる部分は目に見える全ては自分自身ということになります。つまり私たちの精神的な本質は繋がっているものだと思います。
全ての人に繋がりがあることを指して、かの有名なユングは集合的無意識と表現されています。例えば、ふっと頭に誰かの顔が浮かんだ瞬間に、偶然にもその人からメールがきたり電話がきたりすることってありますよね。あるいは、今日なんとなくカレーが食べたいと思っていたら、母親や奥さんが手作りのカレーを用意してくれていたなんてこともあると思います。要するにテレパシー的な不思議な現象を目の当たりにするのは集合的無意識の中で繋がっているからでは?と思っています。個人的に面白いと思う心理学の実験でブーバとキキというのがあります。これは、とある二つの絵の名前を指してブーバとキキに分けているものです。せっかくですのでここで実験してみましょう。以下の二つの絵を見て名前を言い当ててみて下さい。要するに直感を頼りにどちらがブーバで、どちらがキキなのかを当てる実験です。
上記の画像を見て、あなたはどちらがキキでどちらがブーバだと思いましたか?ちなみに言い当てた名前の正解・不正解はないものとなっています。しかしながらこの実験の面白いところは多くの人(※とある実験によると20人中19人)が左をキキと言い、右側をブーバと認識するのが特徴となっています。おそらくですが日本語が分からない外国人の人に、どちらがギザギザでどちらがフニャフニャ(フワフワ)でしょうか?っていう質問をしても、同様の結果になってもおかしくないと思っています。この実験が集合的無意識と関係しているかどうかは分かりませんが、個人的な感想は無きにしも非ずだと感じています。
さて、ここまで『自分とは?』をテーマに話をすすめてきました。要するに、自分とは人の意識のことであり、その意識には以下の三種類に分かれるということです。
- 意識(顕在意識)
- 無意識(潜在意識)
- 集合的無意識(超意識)
心理学で、この意識について学ぶ際、数多くの書物に引用されている例えが人の意識は氷山の一角に過ぎないというものです。そして書物によって多少違いはあれど、大まかにみていけば意識が1%〜5%に対し無意識は95%〜99%となっているそうです。ですので人は意識(顕在意識)よりも無意識(潜在意識)による影響を強く受けているということになります。
無意識による設定(プログラム)はたくさんの種類があげられます。例えば飲水・飲食時の体の働きや呼吸している時など、あるいは歩行動作時や自転車・自動車の運転時、他にも仕事・スポーツ・コミュニケーション時に至るまで幅広く無意識が関与しています。
しかし時々、この無意識による設定(プログラム)がおかしくなる時があります。まさにヒューマンエラーというような現象です。例えば人によっては、甘いもの依存や食べ過ぎを治したいとか、あるいはアルコール依存・ギャンブル依存・ゲーム依存・ネット依存等を治したいと意識にはあるものの、思いとは裏腹に依存症が治らないことってよくあることだと思います。
ちなみに依存症を治したいと思っていること自体が自己暗示(自分自身による洗脳)になっているということにお気づきでしょうか?なぜなら、何かの望みを叶えたいと願う自分がいるということは、無意識の中では望みが叶っていない状態をイメージしてしまっているからです。逆に説明すると分かりやすいかもしれません。つまり、無意識で何らかの望みが叶っていると実感している場合は、そのことをわざわざ思考する必要がないということです。例えば、お酒やタバコを辞めたいと思考しているのは、無意識のうちにお酒を飲んでいる自分やタバコを吸っている自分をイメージしているからですよね。
ここで思い出してほしいのが意識(思考)というのは、人間がもつ能力の1%〜5%に過ぎないということです。ドラゴンクエストで例えるなら、レベル1〜5の勇者(意識)が、レベル95〜99のドラゴン(無意識)を相手に戦いを挑むようなものです(笑)その状況で絶対に負けるっていう訳ではありませんが、困難な状態になるっていうのは想像に容易いですよね。つまり、表面意識だけで願望を実現しようと思っても困難ということです。それは同時に思考だけで自己暗示(洗脳)を解除しようと思っても難しいということを意味します。
以上のことを踏まえたうえで、ではどうすれば自己暗示を解除できるのでしょうか?そのことについて次章でみていきましょう。
自己暗示(自分自身による洗脳)の解き方とは?
さて、いよいよ今回の記事タイトルにある自己暗示の解き方について説明していきます。最初に結論を言えば無意識による設定を書き換えるということになります。ちなみになぜ自己暗示を解く必要があるのか?というと、自己暗示を解くことにより、自分の本当の望みを実現しやすくなるからです。そして望みを実現する方法こそが人の意識と無意識を一致させるということになります。先程のドラゴンクエストの例で例えるなら、レベル99のドラゴンと戦うんじゃなく、味方につけることで、人生という冒険を楽にしていくようなものです。
人生という冒険を歩む際、時々、意識と無意識の方向性がズレてしまうことがあり、その結果としてヒューマンエラーともいうような現象が起きることがあるのです。例えば、呼吸においては過呼吸やパニック障害となって現れてしまうことや、歩行においては足腰の痛みがでてきたり、あるいは痛みが無きにしろ、何となく違和感を感じてしまうような歩き方になったりすることもありえます。また、なんらかの依存症を克服したいと頭(意識)では思っていても、思いとは裏腹の結果になることがあったりする場合もあります。
自己暗示(自分自身による洗脳)を解くために必要なことは、無意識により設定されたプログラムを書き換える必要があるのです。このことはパソコンを例にとって説明すると分かりやすいです。例えば、とあるアプリをインストールしてパソコンの反応速度が遅くなったとします。この場合の解決法としては、パソコンを布で拭いたり、別のアプリをインストールすることではありません。パソコンの不調を招いたアプリを削除すればいいのです。
人間においても同様です。禁酒したいとか、喫煙したいとか、ギャンブル依存を辞めたいとか、過食をどうにかしたいとか思っていても失敗することがありますよね。重要なことは原因がその人の意識にある訳ではないということです。つまり無意識の中にエラー(バグ)を起こしているプログラム(アプリ)があるのです。
そして無意識に設定されたプログラム(アプリ)が、自分にとって不調の原因となることを指して、メンタルブロックと言ったりします。このメンタルブロックを解放するために、腕のいいカウンセラーがいたり、あるいはシータヒーリングやヒプノセラピーとよばれるものがあったりします。しかし、これらに共通するのはお金がかかるのと同時に、メンタルブロックが生じるたびに他者に依存することになるということです。ですので私のオススメは自分で自分の無意識による設定を書き換えることです。つまり、自分で自分のメンタルブロックを解放することが重要になるということです。ちなみに自分の不調を治すためにセラピーを受けるのがダメって言っているのではありません。むしろ場合によってはセラピーを受けるのが適切なときもあります。しかし問題なのはメンタルブロックや、何らかの不調・悩みがある際にでてきてしまう『依存心』にあります。例えばウロボロスの蛇のように初めのスタートが依存心なのであれば、最終的に辿り着くゴールも依存心になってしまうのです。ですので先ずは依存心ではなく自律心を大切にすることがオススメです。
さて話を元に戻します。ではどうすれば、無意識による設定を書き換えることができるのでしょうか?そして、どうすればメンタルブロックを癒すことができるのでしょうか?そのことを次章でお伝えしていきます。
無意識による設定の変え方とは?
そもそも、無意識の設定はどのようにして形成されるのでしょうか?その答えを一言でいえば、『その人が何を信じているのか?』が強く影響しています。メンタルブロックにおいても、人の信じ込みが多大な影響を及ぼしています。このことを一人の人間の人生に当てはめて掘り下げていきましょう。図式すれば以下のような形になります。
【信念(信じ込み)⇨条件づけ(〜すべき!・〜しなければならない!)⇨意味づけ(捉え方・イメージ)⇨感情(喜怒哀楽)⇨身体感覚(イライラ・ザワザワ等)⇨思考(意思)⇨行動⇨週間⇨人生】
上記において、思考や行動は意識的な領域に該当していますが信念〜身体感覚においては無意識による影響が大きい領域となります。そして、人と人のコミュニケーションの際などにおいても、強く影響を与えるのが信念(信じ込み)の部分になっています。これは、意識(1%〜5%)と無意識(95%〜99%)の割合で説明したことが関係しています。
無意識による信じ込みがコミュニケーションに強い影響を与えると実感した私の例を参考までに紹介しておきます。私は高校一年生の入学早々に友人から宗教(顕正会)の勧誘を受け入信しました。そして、宗教団体の人の話や書籍をたくさん読んでいくに従い、完全に洗脳されるようになります。ちなみに洗脳による信じ込みを一言で端的に言えば『この宗教(日蓮大聖人の仏法)の信仰は素晴らしいものだ!』ということになります。そして疑うことが辞書になかった二十歳の頃、信仰(信じ込み)がより強い状態になっていきます。そこで友人や職場の同僚などを片っ端から勧誘していくと十中八九の勢いで勧誘を成功させるという不思議な体験をしています。
当時、職場の同僚に二人姉妹で働く人がおり、真夜中に電話をかけては夜中の12時から二人同時に宗教勧誘を行い入信を成功させることもありました。また年齢が倍以上離れた上司にも躊躇なく勧誘していくと不思議と決まることが多かったです。ちなみに大抵の宗教勧誘の際に使う言葉は次のようなものでした。『福運が上がって功徳(良いこと)があるから一緒にやろう!』みたいなかんじです。もはやその一言に尽きると言っても過言ではありません。今となっては大変怪しく聞こえる勧誘の言葉ですが、他者に伝わるのは思考した言葉よりも『無意識の信じ込み』の部分なのです。
以上の内容は宗教の勧誘だけじゃなく、様々な事柄に当てはめて考えることができます。例えば、アパレルで働いている人がお客さんに対して次のような言葉を言ったとします。『この洋服似合っていますよ』と。この場合、人に買わせるのが目的の発言であるかどうかも、何となくの雰囲気で分かってしまうことってないでしょうか?あるいは、アパレルの店長の人が社員に向かって『今年の売り上げは百億円にします!』と目標を言った際、その瞬間に無意識のコミュニケーションがやりとりされていることは多くあります。先ず率直にでてくる社員側の思いとしては『百億?、本当にできるのだろうか?』という決して言葉に出ない無意識の質問だったりします。その際、社員の無言の質問に答えるのが、店長自身の無意識の信念に該当します。それは時として目力として表現されたり、整った姿勢となって表現されることがあったりします。その目力や姿勢さえも無意識の影響が強く関係しているということです。
宗教団体の幹部にも次のような二つのタイプがいました。『今月の誓願(勧誘ノルマ)は100名にします!』との発言そのものは何も変わらないものの、Aさんの発言においては無意識に疑心暗鬼が生じるものの、一方、Bさんの発言においては不思議にも『出来る!』との確信に変わったりすることがあるのです。
つまり、何を言うのかよりも大切なことがあるとすれば、『誰が言うのか?』っていう部分です。そして、宗教の体験を通して、もう一つ分かったことがあります。それは時として、誤った信念(信じ込み)においても力(言霊)が宿ると言うことです。要するに、良い悪いに関係なく何かを信じるということ自体が一種の力を発揮するということです。
ちなみにコミュニケーション分野について学ぶ際、多くの書籍に紹介されているのがラポール(信頼)を築き上げることが重要だと説かれいます。そしてラポールを構築するためにミラーリング(相手の仕草をマネすること)やペーシング(声の大きさ・話のテンポ・呼吸などのリズムを相手に合わせること)あるいはバックトラッキング(相手の発言した言葉をそのまま使用して質問したりすること)などが紹介されていますが、これらは意識(1〜5%)の領域で実践することになるので正直、効果はあまり期待できません。むしろ、意識と無意識によるズレがある場合にミラーリングなどをされても逆効果になる恐れすらありえます。ですのでコミュニケーションにおいては表面的な部分に捉われないことが大切になってきます。
さて先程、人の信じ込み(無意識の設定)がメンタルブロックに強く影響を及ぼしていることを伝えていますが、それはつまり、メンタルブロックを解放するためには人の信じ込み(無意識による設定)を書き換える必要があるということです。ここで私が宗教を信じ込んでいた頃の無意識の設定を参考がてらに二つ紹介しておきます。
【信念①(信じ込み)】⇨『日蓮大聖人は全人類を幸福へと導く偉大な仏様だ!』
【条件付け】⇨『日蓮大聖人の仏法を怠けてはならない!』
【意味づけ】⇨『日蓮大聖人(仏様)の仏法を実践することで守護してもらえる!』
【感情】⇨『仏弟子であることが有難い・嬉しい』
【身体感覚】⇨『ワクワク』
【思考】⇨『仏様のお手伝いとしての勧誘や勤行(お祈り)を頑張ろう!』
【行動】⇨『宗教の価値観による行動』
【週間】⇨『思考停止』
【人生】⇨『宗教団体にとって都合の良いロボットのような人生』
上記の無意識の設定で重要なポイントは三つあります。先ず一つ目には、自己暗示(自分自身による洗脳)であろうと、宗教による洗脳であろうと、信じ込みの正体は実体がないということです。言い方を変えれば、人の信念というのはただの思い込みに過ぎないということです。
そして二つ目は自分自身に課せた条件付けというのは他者に対しても、価値観を押し付けてしまう傾向にあるということです。上記の例においてみていけば『日蓮大聖人の仏法を怠けてはならない!』という条件付けがある故に勧誘が成功しない時は、断った人に対してストレスを感じる場合があるということです。※今となってはめっちゃ恥ずかしいです(笑)
もう一つ参考例をあげます。私が以前働く職場で次のような出来事がありました。とある日、出勤時間よりも15分早めに職場に行き仕事をしていると、見るからに怒りの感情に飲み込まれている様子の上司が私の元にやってきてビックリするような発言をしたのを覚えています。その発言とは「仕事は30分前に来なければならない!」というものでした。つまり、その上司は自分自身に対して仕事は遅くても30分前に出勤しなければならないという条件付けをもっているため、それに反した出勤時間は勝手にストレスを感じる仕組みになっていたということになります。
このように人は無意識に価値観を強要してしまうことがあったりします。ちなみに私たちは、日常生活の中で自分の価値観を押し付けることがおおいです。例えば、好き嫌いせずにご飯を食べなければならないとか、子供に対しては学校に行かなければならないとか、仕事においてはテキパキ業務をこなさなければならないなど、数えあげれば枚挙にいとまがありません。コロナとされるものが流行した際には、マスクを着用しなければならないっていうのを多く耳にしましたが、これも結局のところ価値観の押し付けにしかなりません。
厄介なのは自分の中にある条件付けに気づかず他者に怒りをぶつける人がいることです。そして時として感情に飲み込まれた人が目の前に現れることもあると思いますが、その場合に相手をしてしまうと、自分も同じ感情に飲み込まれるようになります。ですので、そのような場合は一歩引いた立ち位置で物事を見ていくことが大切になってきます。
ではどうすれば、一歩引いた立ち位置になれるのでしょうか?それは、感情を感情として捉えるのではなく、エネルギーとして感知することが大切です。つまり、相手が怒っている際においては相手側の信念や正論が元となっているのですが、その正論に対して、こちら側の正論をぶつけると結果的に共倒れになる可能性が高いということです。先程の仕事の出勤時間の例に当てはめて説明すれば次のような言葉のやりとりになる可能性だってあり得ます。
『労働基準法において、わざわざ30分前行動する必要性は書かれていない!』とか、『仮に30分前行動を強制するなら残業手当として給料の計算に入れるべきだ!』とか、『30分前行動をするのが当たり前なら、退勤時間30分前になったら帰りますね!』みたいな価値観を上司に対してぶつけてしまうことがあるということです。上司は上司で、『部下は素直に言うことを聞くべきだ!』みたいな価値観をもっていることだってあり得ます。
つまり一歩も引かないというのは、まるで猛スピードで飛んでいる鳥と鳥がお互いに道を譲らず正面衝突するイメージに近いです。相手側の信念・価値観・感情・正論は相手のものであって自分のものとは区別する必要があります。例えば四角錐(※以下参照)を見る際、横から見ていけば三角に見えるものの真下から上を見上げると四角に見えるのと同じように、人はそれぞれの立場において捉え方が変わるのです。
そのことを踏まえた上で、感情に飲み込まれないために必要なことは主観的に良い悪いの判定をしないというのが鍵になります。つまり、一歩離れた立ち位置になるということは、客観的な立場で良し悪しのジャッジをすることなく、感情をエネルギーとして感知することが重要になります。出来事に対しては、ただ適切か不適切かの判断をしていくことが重要になってくるということです。
もう一つ大切なことは自分自身が信じ込んでいる信念や価値観にただただ気づき続けるということが重要になります。そして、感情の役割を自分の信念や価値観を見ていくためのナビゲーションとして使うことが大切になります。
また三つ目に重要なことは、自分の信念や価値観が否定的なメンタルブロックに結びついているのであれば、それを書き換えるということになります。例えば私の場合、『日蓮大聖人は全人類を幸福へと導く偉大な仏様だ!』を次のように書き換えています。『自分は自分を幸福へと導く偉大な存在だ!』みたいなかんじです。そして結果として、他人軸よりも自分軸を重要視するようになり、洗脳を解くことに結びついています。
では次に私が宗教を信じ込んでいた頃のもう一つの無意識の設定を紹介します。
【信念②(信じ込み)】⇨『薬を選ぶ基準は好きか嫌いかではなく、効果があるかないかで決めるべきである。宗教においても好き嫌いではなく、効果があるかどうかで決めるべき!』
【条件付け】⇨『物事を判断する際は感情よりも論理的思考を優先しなければならない!』
【意味づけ】⇨感情よりも理論の方が大切だ!
【感情】⇨『朝晩の勤行(お祈り)や勧誘を行う際、めんどくさい(難儀)との感情が出てきてくるのを抑えてしまいます。』※心理学では抑圧と表現されます。
【身体感覚】⇨『抑圧したストレスによるモヤモヤやイライラ』
【思考】⇨『自分のめんどくさいと思う感情は魔性(煩悩)によるものだ!』
【行動】⇨『宗教の価値観による行動』
【週間】⇨『思考停止』
【人生】⇨『宗教団体にとって都合の良いロボットのような人生』
ここでの重要ポイントは、人は時に感情を抑圧することがあるということです。そして感情を抑圧して行動していくとどのような結果になるでしょうか?基本的には抑圧したストレスがある場合、何か別のことで発散しようとします。例えばスポーツやカラオケなどでストレスを発散する人も多いのではないでしょうか。言わずもがなですが、仕事上における我慢や緊張などもストレスの原因になります。そして、ストレスを受けた際、そのエネルギーを別の方向で問題解決しようとすることを心理学では代替行為と言います。代替行為の特徴としては自分が本当にやりたいことではないことを行ってしまう場合があるということです。このことを衝動と言います。そして衝動による発散後には罪悪感や自己嫌悪、あるいは虚しさや後悔に変わることがあったりします。例えば、アルコールの飲み過ぎや食べ過ぎなどが該当します。しかし仮にここで、お酒を飲まないことを決意したり、食べ過ぎを防ごうと思ってもなかなか改善に結びつくことは困難です。なぜなら意志の力よりも無意識(ドラゴン)の方が強いからです。
一応、応急処置としてのオススメは悪しき代替行為を別の代替行為に変えていくことです。例えば人工甘味料などの添加物が沢山入っているお菓子が辞めきれない場合、お菓子を辞めようとするのではなく、自然食品(黒糖や蜂蜜)でできた食べ物に入れ替えるみたいなイメージです。ここでの注意点としては代替行為のレベルが30ぐらいだったとしたら、その際に置き換える代替行為もレベル30で合わせる必要があるということです。例えば普段抑圧している感情をアルコールで代替行為している場合、水やお茶に切り替えたところで、レベル差により負けてしまう確率が高いということです。ですので自分が普段行っている代替行為のレベルに気づくことも大切になってきます。
ちなみに代替行為として出現している、感情さえも抑圧して行動を続けていけばどのような結果になるでしょうか?それは、いずれ感情麻痺が起きる結果となります。その感情麻痺した状態でさらに行動を積み重ねていけば、いずれ強制終了となる出来事がやってきます。それは病気やお金が尽きるといった形で出現したり、あるいは事故となって出現することもあります。仮に本人にそのような現象が見られなくても一緒に住んでいる子供や奥さんの病気などに反映されることもあり得ます。ちなみに日本人は相手に対する気遣い(思いやり)により、自分の本音を抑圧することってありますよね。その結果により肩こりなどに結びつく人が多くいたりしますが、これも一種の抑圧による結果といえます。
しかし、人生における強制終了はかえって自分の人生を好転させていくキッカケとなります。つまり気付けばこっちのものということです。なぜなら信念や条件付けを良き方向に書き換えるチャンスだからです。
私の例の場合、宗教の経験を通して感情を抑圧するキッカケになった条件付けとして、『物事を判断する際は感情よりも論理的思考を優先しなければならない!』というのがありました。そしてやがて感情麻痺がでてくるも無理矢理に宗教活動を続けた結果、やがて吃音の症状がでてくるようになりました。その後、宗教の違和感を感じた私は辞めることを決断するに至ります。おそらく、吃音症の症状がでた状態で、さらに感情を麻痺させ行動をし続けていれば、やがて失語症や脳梗塞みたいなかんじで強制終了の重荷が増したことが想像できます。
ちなみに私の場合、上記の条件付けを次のように変えています。『物事を判断する際に自分の直感や感情を優先するのは自然のことだ!』みたいなかんじです。
また信念の書き換え方としては次のようなかんじになります。『薬(宗教)を選ぶ基準は好き嫌いの感情で選ぶことがあってもいい。なぜなら医者や宗教による教えが間違っていることもあるから!』みたいなかんじです。繰り返しになりますが、人の信念というのは結局のところ実体がないただの思い込みに過ぎないということです。どうせ思い込むのであれば、自分の人生が好転するような価値観に変更し大切にしたらいいということです。
まとめ
この記事では自分とは何か?を掘り下げていくことにより、思考(捉え方)・感情・信念などについてみていきました。ちなみに、なぜその思考・感情・信念などが大事になるのでしょうか?それは自分の周波数と関係しているからです。周波数とは要するにエネルギーのことです。現代科学が発展した現在、量子力学的な観点から見ていくと、この世にある全てはエネルギーと解釈することができます。もっと具体的に掘り下げていけばお金や宝石、または感情でさえもエネルギーということになります。
大切なことは自分の周波数です!自分の周波数を整えることができさえすれば自然とお金というものは集まってきます。人や物においても同様です。しかしながら人は、自己暗示により、周波数が乱れてしまうことがあるんですね。なぜなら無意識のフィルター(捉え方)が存在しているためです。ですので、私たちが生きる人生の醍醐味は無意識のフィルターを取り外して本当の自分に戻るゲームみたいなものだと思います。是非、今回の記事を参考に自分の中にある感情をナビゲーションに活用してみて下さいね。
それではまた♪
・・・
って言いたいところですが、もう少し続きます。【※記事を書く時間が長くなっているため、そろそろ終わりたいと思っています。なんなら日中、抑圧した感情の代替行為として、マリオカート(ゲーム)をしたいと思っています。(笑)】
では、これより先、まとめの中のまとめにしていきます。
この世にある思考・感情・信念は全てエネルギーとお伝えしましたが、結局のところ全ては単なる思い込みに過ぎないということなんですね。ちなみに、このような心理学的な事柄に興味がある方におすすめの本を二つ紹介しておきます。
※参考までに、もくじのみを引用して紹介しておきますね。
- 人生は「自分で書いた脚本」どおりに進む
- 人生脚本は多くの「思い込み」でできている
- 人生を支配する「思い込み」の正体
- 「思考のゆがみ」はこうしてなおす
- 「思い込み体質」の根本的な治療法
- 「思い込み」を利用して「人生脚本」を書き換える
- すべてのものに「バイブス」がある
- ポジティブな習慣を身につける
- 自分を優先する
- 自分を受け入れる
- 夢を実現するマインドを持つ
- 行動し、目標を現実化する
- すべての出来事に意味を見出す
さて、最後にめちゃくちゃ大切なことをお伝えしていきます!
ここまで読んで下さった方なら行動は思考(捉え方)の影響を受けていることがお分かりになると思います。そして行動や思考は感情の影響を受けていることをお伝えしていきました。同時に、感情は信念による影響を受けていることもお伝えしていきました。
そのような一連の流れを示すために以下のような流れを紹介したのを覚えているでしょうか?
【信念(信じ込み)⇨条件づけ(〜すべき!・〜しなければならない!)⇨意味づけ(捉え方・イメージ)⇨感情(喜怒哀楽)⇨身体感覚(イライラ・ザワザワ等)⇨思考(意思)⇨行動⇨週間⇨人生】
実は、無意識の信念の前に、もう一つ存在するものがあります。それは超意識(深層意識)と呼ばれる領域です。超意識(深層意識)のことを指して、神とか宇宙とかって表現する人もいます。他にも例をあげれば次のようなものがあります。
- 大いなる何か
- 愛・感謝のエネルギー
- 無限の可能性
- サムシンググレート
- ゼロポイントフィールド
- 空
- ハイヤーセルフ
- アカシックレコード
みたいなかんじです。要するに根源の自分と表現することもできますし、生命エネルギーとか創造エネルギーって表現もできると思います。この領域と繋がることで第六感と呼ばれる直感が降りてきます。この直感と繋がっている人の言葉にはやはり心に響くものがあったりします。
しかし多くの人の場合、この直感(生命・創造エネルギー)を阻害するものがあるんですね。それが、投影(独自の色眼鏡・独自のフィルター)やメンタルブロック、あるいは無意識の信じ込みなどの自己暗示になります。要するに自己暗示さえ解くことができれば、私たちは最強ってことです!(笑)
おそらく最大の自己暗示(洗脳)は時空間の認識や死(魂)についての定義だと思います。もしかすると、それすらも周波数(エネルギー)であり結局のところ何もないってことになるのだと思います。逆にいうと何もないエネルギーの状態だからこそ全てを生み出すことができるということです。全ては周波数で、『究極のところ何もなくて同時に全てが存在する』というのは、一見すると矛盾した話のように聞こえますが、例えば写真のフィルムなようなものと捉えると分かりやすいのかもしれません。写真のフィルムは真っ黒の状態から全ての色を写し出しますよね。この世界もそれと同じようなものだと思います。
時間なんてものも光の速度を超えさえすればおそらくタイムスリップできる可能性があります。そして応用を用いればドラえもんに出てくるタイムマシンは存在するということです。要するに想像できるということは創造できるということであり、個人的な見解としては、タイムマシンも透明マントも実在しています!おそらく五次元的な物の見方になるとドラえもん自体も存在することになると思います。要するに全ては周波数(エネルギー)として存在するということです。(※いきなり話がぶっ飛んでいますが、私の直感が記入したものをそのまま残しておけ!って言っているので、あえて書いた文章をそのまま残しておくことにしています。)
人生には、時々、自分の人生の道を分ける究極の二択(もしくは複数の選択肢)の道が存在しますよね。それは就職先や学校といった形で現れることもあれば、結婚相手などに反映されることもあると思います。重要なことは、どの選択肢を選ぼうが周波数が変わらない限り、右の道を選ぼうが左の道を選ぼうが同じような結果に結びつくのだと思います。なぜなら周波数というのは共鳴するものだからです。
私が高校生の頃、学校の図書館にザ・シークレットという一冊の本がありました。その本には思考したことは現実化すると書かれており、人生とは『引き寄せ』によって作られているという内容が書かれていたのを覚えています。このことを掘り下げて解釈すれば思考という周波数が現実化するということであり、同時に感情という周波数が現実を作るということであり、そして信念という周波数が現実を引き寄せるということを意味するのだと思います。
集合的無意識の項目で説明したように、全てのものはつながっています。いま具体的に言えば、私たちは周波数(エネルギー)を通してつながっているということです。それは体も心も同様です。周波数を変えるためには、自分の手につけやすい分野から行うといいと思います。例えば私においては、最近、塩で全身を軽くマッサージしながら入浴を行うことで、明らかに自分の周波数が変わったことを実感したりしました。周波数を変えるためには人によって様々なアプローチ方法があると思います。例えば好きな音楽を聴くことや好きな食べ物を食べるということも一つの手段だと思います。
周波数が変わることで現実は変わっていきます。そして創造エネルギーを上手く活用することで人生が楽しくなっていきます。おそらく、そのことを隠した上で人々に備わっている創造エネルギーをコントロール(支配)したがっている存在がいます。現在の歴史の流れというのは、そのような存在が上手に人間を洗脳してきた歴史がつづいてきたような気がします。その支配者側の人たちのことをDSと呼んだりもしますが、ここではあえて掘り下げません。なぜなら本当の自分と繋がることが重要であり、本当の自分と繋がりさえすれば、そんなことどうでもよくなるからです。
もう一度いいます。本来の自分と繋がりさえすれば、世界の裏とか闇とか、支配者とかDSとか、めちゃくちゃどうでもよくなります。この記事で述べさせてもらったように、その人の置かれている状況や立場によって、良い・悪いは180°変わることがあったりします。そうであるならば、周りの出来事よりも自分の人生に集中した方がよくないですか?っていうことです。
ただ、人生の道を選ぶ際、どうしても不安や恐れの感情がでてくるという人もいると思います。その場合のオススメ方法としては祈ることです。ちなみに、ここでの祈りは神や仏様に祈るというわけではありません。また『願いを叶えたまえ』というような祈りも違います。
では、祈る際に重要になってくる観点とは何でしょうか?それは決して宗教を行うことではなく、自分自身に対して祈るということです。その時、自分自身に語りかける言葉というのは次の一言だけです。『導きたまえ』
あえてもう一つ付け加えれば、自分の志を明確にした上で、『導きたまへ』と自分自身に対して祈ることです。つまり、自分がなすべき事をなさしめたまえというようなニュアンスの祈りは人生において役に立つということです。ここでのポイントは依存ではなく自律にあります。そして人生において重要なことは思考することでも感情に流されることでもありません。ただ凪のように、あるがままに行動して、あるがままの出来事を受け入れていくことです。そして、その出来事すらも人生のナビゲーションにすることで、いずれ超意識(深層意識)の世界で設定した本来の自分に繋がるのかもしれません。
いや、むしろ逆に私たちの元の姿というのは、皆、超意識(深層意識)と繋がっているんですね。だから、元の気と書いて、元気という漢字になるのだと思います。そして自分自身が元気で整った(ニュートラル)な状態であれば調和に満ちた世界が築かれるのだと思います。それは同時に創造したことを形作ることができるということになると思います。そして見方を変えれば想像したことが引き寄せられるということになるのだと思います。
また超意識(深層意識)とつながった状態のことを直感とつながる言ったりすることもできると思います。そして直感から送られる生命(創造)エネルギーが周波数として形を変えたのが信念・感情・思考などに繋がるのだと思います。
要するに、直感と繋がるためにも無意識の設定(信念)を見直すことが大切になるということです。そして場合によっては無意識の設定を書き換えることが重要になります。無意識の設定を書き換えることでメンタルブロックが解放されたり自分の条件付けが変わったりします。なぜなら本質的な信念体系が変わるからです。
これまで見てきたように、私の信念体系の例で言えば、人生の導き手の存在(対象)を宗教(仏様)から自分自身に入れ替えただけで様々なメンタルブロックが解放されたようなものです。そしてメンタルブロックが解放されると同時に様々な条件付けも変わっていくんですね。つまり、無意識の設定を入れ替えることにより、わざわざ自分の中にエネルギーを抑圧する必要がなくなってなってくるのです。
感情エネルギーを抑圧するということは、自分の生命(創造)エネルギーを阻害することになります。その延長線上で肩こり・腰痛・依存症・鬱・過食・癌・吃音・皮膚疾患・何らかの不調・何らかの病気などに結びつくということです。つまり、全ての病気の原因は、必ずどこかで自分の心の働きによる影響を受けているということです。
ですので感情を上手に流していくことが重要と言えます。そのため現代社会に住む私たちは感情の克服こそが最重要であると思っています。なぜならその先に直感と繋がることができると思っているからです。そして、直感と繋がるということは自分の超意識(深層意識)と繋がることを意味します。ちなみに感情を克服するというのはネガティブな感情を見ないようにするっていうことではありません。なぜかというと、怒り・悲しみ・怖れ・寂しさ・罪悪感・不安・嫉妬などの感情に対してフタをしていては、反対サイドにある、勇気・喜び・満足感・楽しさ・感謝・愛・ワクワクなどに対してもフタをすることに繋がるからです。
つまり感情に対してフタをしていると感情麻痺が起きるということです。ですので、まずは全ての感情を受け入れて、その感情が好ましくないものだと認識したら、ナビゲーションとして活用し無意識の設定を書き換えていけばいいのです。
ちなみに超意識(深層意識)は、自分が曲がった道に進むことも許可しています。言い方を変えれば、神や宇宙は個人の自由意志を尊重するということです。だから感情に飲み込まれるのも自由だし、何なら人生の途中で自殺することも許しています。しかし、感情に飲み込まれていては自分の人生が苦しくなります。だからこそ、感情をナビゲーションとして活用したり、感情エネルギーを上手に受け流していくことが重要になります。
ちなみに感情が麻痺している場合に、もう一つオススメがあります。それは感情日記を書くことです。ちなみに普段抑圧しているであろうネガティブなマイナス感情であればあるほど効果があると思います。書き方の例としては怒りや悲しみなどに対して1%〜100%の中で数値化したり、あるいは次から次へと浮かんでくるネガティブな感情を言葉として書き続けるみたいなかんじです。最終的には書き終えた紙を燃やすことで、無意識に溜まっていた感情を流すことができると思います。
あるいは1日の出来事に対して自分が思ったことや感じたことを、あるがままに書いてみるのもオススメです。ここでのポイントは誰かに見せる訳ではないので、素直な気持ちを書き続けるということになります。例えば、Aさんという人物に対してウザイ・邪魔・死んでほしいなどの闇に染まりきった思いや感情がある場合、それをあえて押さえ込まずに、ひたすら書き続けることが重要になってきます。
要するに大切なことは、自分の中に抑圧したエネルギー(感情)を溜め込まないってことですね。結果として本来の自分の力を発揮できることにつながります。同時に自分自身を客観的見ることができるようになっていきます。逆に普段の生活の中で感謝ワークすることもオススメです。例えば、今日、起きた出来事などに対して3つの感謝をするみたいなかんじです。一例をあげれば次のようなかんじです。
- このブログを真剣にここまで読んでくれている人に対して感謝♪
- 美味しいご飯を食べることができたことに対して感謝♪
- 安心して穏やかに眠れることに対して感謝♪
感情日記や感謝ワークは周波数を好転させる効果があるということです。是非、ご自身の生活の中で取り入れてみて下さいね。
それでは、そろそろ記事の締めくくりにしたいと思います。この記事を最後までご覧くださりありがとうございました。
この記事の内容を最後に一言でまとめておきます。『私たちは本来、超意識(深層意識)と繋がっているため、いずれ、あなたの人生が最終的にたどり着く場所は、きっと愛と調和の世界になる♪』ということです。
それでは、また♪
おまけ
コメント