宗教(顕正会)による洗脳の解き方!+α

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こちらの記事の内容は顕正会を本気で辞めたいと思っている方に向けて書きました。大切なことなので繰り返します。顕正会を本気で辞めたいと思っている方のための記事となっています。

顕正会を辞める気がない人や洗脳を解こうと思わない人がいくら膨大な情報を集めようと、結局は洗脳を解除することはできません。いやむしろ、自分が信じている価値観と違う情報を目にしたことで不愉快な感情を抱く人もいるでしょう。

ですので、日蓮大聖人や淺井先生の教えを今後も信じていきたいと考えている人には読むのをオススメ致しません。理由としては、価値観の違いから生まれる批判・非難・中傷・争いなどを避けるためです。あくまでも顕正会を脱会したいと思っている方に向けての情報となることを予めご了承下さい。

自分の進むべき道の答えを決めるのは、あくまでも自分自身の中にあります。もし、洗脳を解除したいと思うのであれば、そのために必要な情報を提供致します。

ちなみに、私の道の方向性は、『この世界に築かれた洗脳社会を終わらすことにあります。』そしてその夢の果てに、いつか、『過去・現在・未来、全ての世界線を優しさで包み込むこと』です。

この記事を読まれた方の一人でも多くの人が、自分の進むべき人生の道を自分で定めることができるようになれれば幸いです。

ただし、あくまで、このブログを書いた筆者は若輩者です。ですので、この記事を通して正論を述べるつもりは毛頭ありません。ましてや、上の立場から何かを教えてあげようなどという気持ちも、さらさらありません。

ただ願いが叶うなら、この記事が、読者の進むべき道のりへ、何かのヒントを与えることができれば嬉しく思います。

以上のことを踏まえた上で、興味がある方は記事を読み進めていただければと思います。

顕正会に入信しての体験談

まず初めに私自身の顕正会で活動をおこなっていた頃の体験談をお伝え致します。

私は16歳の高校一年生の5月に友達から学校内で勧誘を受けました。仏法の内容においては、まだ右も左も分からない状況でしたが、友達から「南無妙法蓮華経と唱えれば運が上がる」と言われ、素直に勤行や折伏を実践するようになりました。

そして、私は学びを続けることで、人に運があるように、国にも国運というものが存在するとの認識になります。そして、現在は国運が少なくなっている故に、巨大地震の連発・異常気象・国家破産・食糧危機・大疫病・他国の侵略などが起きてくるとの洗脳を受けます。

また災難の根源は、日蓮大聖人の仏法に背く咎によるものとの認識になりました。つまり、仏法に背く罰により、いろんな災いが起きるため、日本の宿命(運命)を変えるしかないと本気で思い込むようになりました。同時に宿命転換が叶うのは日蓮大聖人の仏法のみとの論理を深く信じるようになりました。

そして次第に信仰心が強くなった私は、ついに家族をも勧誘するに至りますが、そこで大反発を受けることになります。

例えば、ある日、私の母が顕正新聞や数珠を会館宛てに持って行ってたり、あるいは処分していたり、又、顕正会の人と合流させないために、わざわざ学校内に入ってきては、手を引っ張ってお迎えに来たり、仕事がある際も、後ろから車で追いかけられることもありました。

毎日のように叱られ・叩かれ、ときに首を絞められ・家から出ていけと言われたりしたこともありました。

幸せになってほしいとの思いで、仏法を進めるも大反発のきりがありませんでした。

そこで次第に母に対して、このような思いがでてきてしまいます。

『もう話し合うのは無理だ。もう死んでしまえばいいのに・・・』

・・・

母のストレスも限界に達していたのでしょう。

いたらない私の思いが現実になりました。

そして、私が成人式を迎える直前に癌で亡くなってしまいました。

母の他界後、兄からの発言が胸に刃物のように突き刺さります。

『お前のせいでお母さんは死んだんだ!嬉しいか?』

もう十数年前のことなのに、まるで昨日あったかのように鮮明に記憶に刻み込まれています。

家族から疎まれ、友達も離れていくなかで孤独を感じるようになりました。

ただ唯一孤独を感じさせない場所がありました。

そこが顕正会になっていました。

多くの人から批判・批難・中傷・脅し・軽蔑などを受けるなかで、理解し合えるのは顕正会の仲間だけでした。その際、顕正会の仲間からは次のような言葉をかけられます。

『絶対に魔性を乗り越えて、広宣流布のお役に立とう!』とか『おめでとう。魔性があるのは信心が本物になってきている証拠だから、凄いことだよ!誇りをもっていこう!』みたいな励ましの言葉や労いの言葉がそこにはありました。また、母の臨終後には、『功徳を回向して、母を成仏させよう!』と励ましてくれる人もいました。

人生の歩みのなかで、共に涙し、共に夢(広宣流布)を追いかけ、共に悩み、共に苦労し、共に感激を語り合い、そして共に励まし合い、労わりあい、尊敬し合う関係性がそこにはありました。

そのような環境化に置かれた私の心の居場所は、気がついたときには顕正会のみという状態でした。そして、そのような状態が成人して以降も10年程続きます。

ある日、人生の転機が訪れます。

それは顕正会の洗脳を解除するのに役に立った情報を目にするところから始まります。

その情報とは、大きく分けると以下の5つに該当します。

  1. 心理学
  2. 武学
  3. 新型コロナの茶番
  4. 顕正会(淺井昭衛さん)の矛盾点
  5. 輝く地球を取り戻す 支配からの脱出大作戦!!(youtube動画)

ここでは、できる限り難しい言葉を使わずに、シンプルで分かりやすく、かつ合理的で要点を絞った内容を的確に、簡単に、だけど深く、しかも誰の心にも響くようにお伝えしていきます。その上・・・っていうのは一旦おいておきます。

それでは上記の5つにいてそれぞれ見ていくことにします。(←最初からそう言え!!)

まずは1の心理学なのですが、特に役に立つのが投影という概念です。

この投影の概念については、宗教(顕正会)による洗脳の解き方!っていう最初の記事にも書いているのですが、私たちがこの世界を見る際においては、基本的に何らかの過去の出来事や感情っていうのを色眼鏡に通して見ているため、本人が問題視していることの本質(本題)の課題は別のところにあるということになります。例えば男性がとある胸の大きな女性に対してムラムラしたとします。その場合その男性が見ているのは胸の大きな女性ではなく、過去に見たアダ○○ビデオを投影している可能性が・・・失礼しました。今の例えは忘れて下さい。別の例えに変えます。

・・・ちなみにここで、この記事を読まれている読者の中には、もっとちゃんと真剣に内容を進めてほしいと思う人や、冗談は抜きで真面目にやってほしいとかって思う人もいるかもしれません。その場合、一つ気づいてほしいことがあります。それは、そこでもう既に何かを投影しているということです。要するに投影というものは常時あるものだということです。問題なのはその無意識に投影した結果、ネガティブな感情や否定的な思考がでてきたりする場合がある点にあります。

顕正会では災難がくることを示唆しては恐れさせることで、マインドをコントロールするやり方がありますが、ここでの恐れの本当の問題点は、災難がくることではなくて、過去の人間関係によるトラブルや、何らかの失敗した経験、あるいは恥をかいてしまったときの経験などにより、心の傷が癒えていないってところにあります。ポイントとしては、その過去の出来事を「無意識」のうちに投影しているっていうところにあります。

ちなみに人は誰もが、人生経験を通して少なくとも一度や二度は心に傷ができてしまう瞬間っていうのがあります。その場合、特に心を癒していくことが大切になってきます。ここでは、とっておきの自己ヒーリング(セルフカウンセリング)によるやり方をお伝えしておきます。

受け入れ難い問題があった際、そこから自分自身に語りかける内容は以下の4つです。

  1. なぜこの出来事が私に起きたのか?
  2. 出来事を通して湧いてきた感情は、いったい何を投影しているのだろうか?
  3. この出来事が、もしも最善だとしたら、どのような解釈ができるだろうか?
  4. この出来事が天からのプレゼントだとしたら、どのようなメッセージになるだろうか?

上記の1〜4の内容を状況に合わせて選んで使用してもいいし、場合によっては順番にリピートしていくのもいいと思います。

要するに受け入れ難い病気や事故があった際においても、この世界の本質は陰陽であることを見極めた上での問いかけになります。つまり、暗闇があれば光があるように、必ずどこかで助けとなるものも同時に存在しているということです。

それでは、次は2の武学についてですが、武学の真髄は『我即宇宙・宇宙即我也』っていうことを、理屈ではなく、体感を通して理解できる点にあります。後ほど武学に関する動画を紹介しますが、武学の内容に興味がある方がいれば以下の本をお勧め致します。

https://amzn.to/3IPv1lZ

さて次は3番目の新型コロナについてですが、説明すると長くなるので詳しく知りたい方がいれば、以下の記事をご覧いただければと思います。

要点だけを言えば浅井昭衛さんは以前、コロナを指して大流行病と発言されており、日本人口においては三分の二(八千万人)の割合で感染し、そのうちの半分(四千万人)が死ぬと説明されていました。

この発言を聞いた当時、ものすごい違和感が出てきたのを覚えています。それはなぜかと言えば、誰も新型コロナウィルスの存在を証明できていないからです。そこから、世界のことについて調べていくうちに、この世界の裏側で人々をコントロールしている人や組織がいることに気づくことができました。そして、人々をコントロールするために、場合によっては宗教をも活用されていることが分かりました。次第に顕正会もその一つであることが腑に落ちることで、私にあった洗脳は解けていきました。

さて次は4番目の淺井昭衛さんの矛盾点なのですが、例えば、平成5年6月6日に開催された青森大会においては「日本の原発は安心・安全に使用されていると思う」とか、「原発反対するなら、自動車に乗るのもやめたらいいと思う」とか、しまいには「原発反対っていうのは、いかにも感情論なんだと思う」などの発言がありましたが、平成23年3月11日に起きた原発事故を見ては、「原発は放射能を撒き散らす危険なもの」・「原発は日本を滅ぼす、即時撤廃せよ」と見事に自分の言葉をひっくり返しては、さらに未来を予言して放射能の汚染の影響で5〜6年後には奇形児が多く生まれてきたり、癌とか白血病で死に至る人がたくさん出てくると脅していました。しかし、福島の原発事故後の5年後以降においても、とくに放射能汚染の影響で病気になって死んだというニュースは聞いたことがありません。

まさに新型コロナウィルスについての内容と同じような発言をされていました。今後、コロナによる大流行病の影響で死ぬ人が続出すると言っていますが、こちらも時間の流れとともに人々の記憶から消し去られていくのが目に見えます。

お分かりでしょうか?顕正会では、過去に発言した内容が間違っていたり、実際に現象として現れてこなかった場合、その発言そのものをなかったことにできるサイコパスの能力を持ち合わせているのです。だからこそ、ある時は、「平成25年までに広宣流布できなかった場合は核戦争により人類は滅亡する」とかっていう発言もいとも簡単にできるのです。

実はここでの重要なポイントは、核戦争が起こるとか、大流行病で多くの人が死ぬとかっていう予言の内容ではありません。同じように地震がくるとか、日蓮大聖人の仏法に背き続けるなら日本は滅ぶ!っていう発言そのものでもありません。

それではいったい予言(発言)の内容よりも重要なこととは何か?と言えば、それは、不安・恐れなどから発生されるエネルギーにあります。

ここはめっちゃ大切なポイントになります。要するに水が渦に引き寄せ流されていくように、不安や恐怖のエネルギーに引き寄せられると、そこから脱出することが困難になってきます。

また、エネルギーというのは、共鳴の作用により、様々な現象を引き寄せます。(以下参考動画)

つまり、誰かが何を言っているのかはさほど重要なことではありません。それよりも、どのようなエネルギーでもって発言しているのか?が大切になってきます。

またもう一つ、大切な観点は、そのエネルギーの状態っていうのは、自分自身で選択することができるということです。なぜならこの世界の創造主は自分自身だからです。だからこそ、どのようなエネルギー状態でいたいのか?っていうことを自問自答してみることをお勧めします。ひとまず、このことは一旦置いておきます。

注意が必要なのは、自分自身のエネルギー状態というのは、周りの環境や状況によって影響を受けることもあります。ただその一方で、周りの環境や状況に影響を受けない人も存在します。その違いは「流される人」なのか「流されない人」なのかの違いになってきます。このことは記事の後半でお伝えしていきます。

次は5番目の内容になります。こちらはスピリチュアル的な観点になるため、あくまでも主観的な内容になることをご容赦下さい。

ですが、個人的には最も貴重な情報で、かつ洗脳を解く上で核心に迫る非常に有益な情報となっていると思っています。後ほど一つの動画を紹介しますが、先に重要な観点をお伝えしておきます。それは、この世界に住む人々は不正なコントロールの影響を受けている場合があるということです。また支配・コントロールしたがるのは、人ではなく、宇宙人とか、別の生命体であることもあるそうです。

ちなみに、最初から動画の内容を理解できる人は稀だと思います。また、人によっては「頭、大丈夫?」と思う人もいるかもしれません。ただし個人的には、動画の内容から真実(本物)のエネルギーを感じられたので、動画の視聴をお勧めさせていただきます。

動画の要点をまとめれば次のようになります。

『情報の内容を頭で理解するのではなく、ただただ聴いて、ヒーリング(癒し)の効果を促し不正コントロールと支配システムの歴史を解除するための動画となっています。そして、この動画を通しての目的は、思考や知識ではなく、自分本来の魂(スピリット)で生きていくために作成されているという点にあります。』

以下にリンクを載せておきますので興味があればご覧いただければと思います。(ちなみに青い文字をクリックしてもリンク先に移動することができます)

輝く地球を取り戻す 支配からの脱出大作戦!!

『https://www.youtube.com/playlist?list=PLzbKdh95EFCZqDsLAIZIsg0Jxn4swlZjp』

さてさて、少し脱線しましたが話の内容を私の体験エピソードに戻します。

洗脳を解くための情報にふれた私は、2007年5月より、十数年継続してやってきたものの、顕正会を辞めることを決意します。

そして、2021年6月9日23:00頃、一通のメールを先輩幹部に送りました。

その内容は次のようなものです。

『お疲れ様です。大変申し上げにくいことですが、今後、顕正会での活動を辞めさせて頂きます。

感情面で誘導されてしまいかねないので、今後も電話やメールはしないつもりです。又、会うのも避けたいので家にも来ないでほしいです。

理由としては、顕正会での活動に違和感を感じてしまっているからです。例えば、新型コロナウィルスは仏法に背いた故に起きた大罰(大疫病)とかの発言にも違和感を感じてしまっています。

そもそも、新型コロナウィルスなるものは、誰が見つけたのか?そして、存在証明はされているのか?疑問を抱いています。

そういった違和感を感じながら継続することは出来ません。

もう、自分には諸先輩方についていくことは出来ません。

大変、お手数おかけしますが、皆様にもお伝え下さい。よろしくお願い申し上げます。

今までありがとうございました。』

そのメールを送った後の返信としては次のようなものが返ってきました。

『直接会って気持ちを聞かせて下さい』とか、『気持ちが落ち着いたら連絡下さい』というものでした。

そこからは、あえて返信をせず、ずっと無視をする形になりました。なぜならそこで反応してしまうと、また洗脳の渦に巻き込まれるリスクがあると感じていたからです。

しかし問題なのはそこからでした。再三『家に来ないで下さい』と伝えたものの、二年間、定期的に訪問してくるようになりました。ときに顕正新聞がポストに入れられることも多々ありました。

優しい言葉で『来ないで下さい』と伝えたところで、全く意味がありませんでした。

それもそのはず、なぜなら顕正会の人が未活動になった人を見る視点としては、魔性の原理が働いていると思い込んでいるからです。だから魔性を乗り越えさせようと必死になる訳です。また日蓮大聖人の仏法だけが唯一の正法だと信じているためです。

ですので、顕正会での活動を辞めようとする際、最終的な課題は理屈が通じないという点にあります。そして同時に、理屈ではなく、自分自身の気持ちを毅然と伝える必要があります。その自分の思いを伝える際には、時として厳しめに対処する必要があると腹を括ることが大切になってきます。

私の場合、顕正会の組織を抜けた後においても、二年間に及び自宅訪問されました。そして、その後もしつこい自宅訪問が続くことを感じたことで一通の手紙を書きました。

その手紙の内容は前回のメールとは打って変わって厳しいものとなりました。

『再三、来ないで下さいと伝えているのに、しつこく来るのはどういう訳でしょうか?

来ないで下さいっていうのは、時間を空けたら来てもいいという訳ではありません。

顕正会員でいる限り、未来永劫二度と来ないで下さいという意味です。

次回、以降も嫌がらせ行為を辞める気がないのであれば、私も嫌がらせ行為を致します。

訪問時、対面するようなことがあれば本気で殴ります。

対面せず、ポストに顕正新聞を置くようであれば車のガラスを割にいきます。

もう既に、車のガラスが割れる以上に、私の心は傷ついています。

もう二度と来ないで下さい。』

その厳しい手紙を送ったのち、顕正会員が自宅訪問することはピタッと収まりました。

以前、広宣流布を共に目指していた仲間だったこともあり、感情面では申し訳なく思うも、最終的な課題は理屈では解決できないことが身に染み付いて理解出来ました。

以上が、大まかな顕正会との体験エピソードとなります。その体験があるからこそ、今、私の心にあるのは次のような思いです。

『この先の未来、もう誰も宗教の洗脳で苦しむ人がいなくなる時代を作りたい』ということです。だからこそ私の志は『この世界に築かれた洗脳社会を終わらせる』ことに繋がりました。またその志は、今となっては、どことなく天から授けられたものと感じています。天から授けられる定めのことをさして、人は天命と呼ぶのかもしれません。

それはさておき、この項目で理解してほしかったことは、先ほどお伝えしたように宗教の洗脳というのは、人の理屈では解決できないことがあるということです。

例えば、サングラスの色に白・黒・赤・緑・黄・青・茶・紫・桃色・橙・灰など、色の種類があるように人の捉え方や価値観も、それぞれの種類があるからです。

つまり、赤いサングラスを着用すれば周りの景色も赤くなるように、日蓮大聖人の仏法こそが絶対的正義という主観的なサングラスを着用していた場合、日蓮大聖人の仏法観をもって物事を見ていくようになるため、それ以外の宗教を受け入れることができなくなります。

恥ずかしながら昔は私自身もそうでした。洗脳を深く受けていた頃は主観的なサングラスを着用していることさえ認識できずにおりました。

また重要なことは、どの宗教(サングラス)を選ぼうが、宗教の内容においては抽象度が高すぎるという問題点があるため、結局のところ科学的な証明ができないのです。だからこそ、自分自身の価値観の物差しに固執し過ぎないことが大切になってきます。

一応、科学的に証明することが出来ない故に、顕正会においては宗教の正邪を分別する方法として、道理・文証・現象という視点を大切にされています。しかしそれらは『捉え方』を変えることで、解釈を180度変えることもできてしまう欠点があります。ではその欠点とはどのようなものなのか?について次章で見ていきましょう。

道理の欠点とは?

まず初めにお伝えするのは道理の欠点についてです。道理とは、その宗教が正しい道理に立脚しているか否か?が重要視されています。そして、日蓮大聖人の仏法においての解釈としては、正しい法においては『一念三千』が説かれているかどうかっていう部分を大切にされています。逆に一念三千が説かれていない宗教では成仏は叶わないとしています。

しかしここで問題なのは顕正会員の人に『一念三千』って何ぞや?って尋ねると誰も答えることができないのです。よって抽象度を高くして、生命の極理とか成仏の大理論とかっていう、なんとなく凄そうな言葉の響きをもって答えにしてきます。例えば宇宙エネルギーって何ぞや?って聞いて、ダークマターとかダークエネルギーって答えているようなものです。

要するに、宇宙エネルギーのことは何も分からずにいるようなものです。もう一つ例をあげます。雨を降らし雷を落とす性質を持つ『積乱雲』の性質を理解しようとして、その雲をとってきても、それはただの『水蒸気』にすぎず、積乱雲の性質は消えてしまって分からないのと同じです。同時に『水蒸気』の性質を理解しようとして、その水分子を取り出して調べても、水蒸気の性質は消えてしまって分からず、水分子(H2O)を理解しようとして、水素(H2)と酸素(O)に分解しても水分子の性質は分からずにいるようなものです。

『一念三千』においても分解をして、『十界』『三世間』『十如』に分けたとしても、結局のところ、一念三千の性質については誰も分からないのです。

そもそも南無妙法蓮華経を唱えることで成仏ができるなんてことも、誰も証明することができません。

そこで、日蓮大聖人の仏法においては、道理だけでは、誰も証明することができない故に、文証と現象という視点を大切にされています。

しかし、ここにはとある二つのカラクリがあります。それは、先ほどの項目でサングラスの原理について説明したように人はそれぞれの色眼鏡(価値観)を通して見たいものを見るという性質をもっているということです。

例えば、どんな祈りも叶えてくれる○○秘宝というものが存在するとします。その○○の名前を最初に、三角と聞いてしまえば、三角秘宝という捉え方(思い込み)になり、その思い込みによる視点で物事を見てしまうような状態になります。一方で、○○の名前を最初に四角や丸と聞いてしまえば、それが四角秘宝や丸秘宝みたいな感じになります。つまり、三角・四角・丸などの受け入れた情報による視点で物事を見ていくため、それに見合うもの(文証や現象)が自然に目に入ってきやすくなります。要するに日蓮大聖人の仏法こそ正しい法っていう視点で見るため、それ以外の価値観を受け入れることが難しくなってくるのです。ここで大切なことは物事の本質を見る際においては客観的に且つ俯瞰的に見ていくことが重要にになってくるということです。

つまり、主観的な正しさというのは、反対側の視点から見ると誤っている場合があるということです。例えば、自分が絶対に三角形の物体だと思い込んでいたとしても、相手の視点から見るとそれは四角だったり丸い形になることもあります。このように絶対的な正義なんていうものは、立場や状況が変われば、いとも簡単にひっくり変わることがあります。残念ながら、主観的な執着心を拭えず、世界中にある宗教の一つ一つが我が宗教こそ正しい教えであると信じ込んでいるのが現状です。

そもそも私たちが住んでいるこの世界は、二極の世界で構成されています。つまり、陰陽のバランスで成り立っているため、正しい宗教を見つけるためには、同時に間違っている宗教を探しだす必要があるのです。

例えば、光があれば影が存在するし、男性が存在すれば女性も存在します。そして、ポジティブな感情があればマイナスな感情もあります。磁石で例えると分かりやすいのですが、プラスの部分があればマイナスの部分もあります。その磁石を真っ二つにしたところで、その瞬間にプラスとマイナスの極に別れます。

そして、世界平和を願う裏側では、戦争の部分を作る必要があり、良き社会を築こうとするためには、反対側の悪い社会の側面を認識する必要がでてきます。例えば、アンパンマンを正義の味方にするためにはバイキンマンのような悪い敵役を作る必要があるということです。顕正会においては、日蓮大聖人こそ、唯一の正しい御本仏であると認識されていますが、その認識を使用するためには、必ず邪の部分を探しだす必要があります。そこで一念三千が説かれていない全ての宗教を間違っていると認識しています。仮に日蓮大聖人の仏法を行なっていたとしても、人法体一の概念が分からない不相伝家の輩や御遺命が分からない団体は、かえって大聖人様に杖をついて地獄に堕ちると解釈されています。

お分かりでしょうか?正しさを求めるためには、必ず間違いを探しだす必要があることに。そして、独自の正義を貫くためには、必ず悪役を作りだす必要があることに。つまり、厳しい言い方にはなりますが、『善』を作り出そうとする心の捉え方が『悪』を作っているということです。心の捉え方とは、要するに意識をするということです。最近の量子力学では、人の意識が現実に影響を与えていることが確認されています。(以下参考動画)

ここで注意する必要があるのは、人の土台にある無意識の認識(意識)が負の側面に対して力(エネルギー)を与えてしまっていることがあるということです。例えばコロナウィルスが重症化をともなう恐ろしい病気との認識になれば、実際にコロナ陽性になった際に苦しくなることもあります。一方で、コロナなんて存在しないとの認識で世界を見渡せば、実際にコロナの陽性になんてなりません。仮に陽性反応がでたとしても、ただの風邪との認識になります。

大切なことなので繰り返します。この世界は人の意識でできています。そして集合意識が天気・経済・政治・外交問題・そしてコロナなどに影響を与えることがあります。顕正会においては、数十年前より『まもなく中国が侵略してくる』と発言されていますが、その認識がそもそも侵略を招く根本原因になることを気づく必要があります。また、もう一つ大切な観点があります。それは中国と中国人を区別する必要があるということです。そもそも、他国や他人を指して侵略国家とか、悪い奴という認識をしていること自体が礼儀に欠けています。そのことは逆の立場になったら分かりやすいかもしれません。

『日本は戦争の歴史を繰り返してきた。まもなく日本は必ず侵略してくるに違いない!日本人は残酷な奴らだ!』

この例文を個人に当てはめると次のような形になります。

『お前の命は濁っている。お前はきっと人を不幸にするに違いない!お前は残忍で悪い奴だ!』

このように他国や他人から認識を受けて嬉しいでしょうか?しかし顕正会の教えは意識・無意識を問わずそのような捉え方になっていることが現状としてあります。

また仏法上の概念において依正不二というものがあり、この環境世界を築き上げるのは主体たるその人の生命にあると説かれています。もしこの概念を取り入れるのであれば、災難が起きてくる究極の原因は、その人の生命に問題があるということになるのではないでしょうか?

特に顕正会の会長である淺井昭衛さんという方は、中国・ロシア・北朝鮮を指して残忍で侵略的な国家っていう発言をしていたり、今日ほど人の心が荒廃した時代はないと発言していたり、また、数多くの政治的な批判もされていますが、所詮、主体たる生命に原因があるというのであれば、そのような認識や状況を作り出した自分自身にも原因があるのでは?って思ってしまいます。

繰り返しお伝えしますが、人の認識(意識)は現実に影響を与えることがあります。災難がくると意識すれば災難がくる世界線になることもあるし、災難がこないと意識すれば災難がこない世界線になることもあります。

例えば、量子力学において、二重スリット実験というものがありますが、素粒子の動きを観測する際に『右側』を意識すれば実際に素粒子の動きが『右側』に動き、反対に『左側』を意識して素粒子の動きを観測すれば、実際に素粒子が『左側』に動くようになったりするという実験結果があったりします。このことから分かることは、おそらく、国や地球の世界線というのは集合意識に委ねられることになっているものと思われます。

信じがたいかもしれませんが、この世にある全てはエネルギーです。それは物質も時間も空間も思考も感情も全てエネルギーということです。そして、その人のエネルギー(周波数)によって現実は形作られていきます。そして人は周波数の共鳴により見たいものを見るという性質をもっています。つまりはエネルギーの共鳴により現実が引き寄せられるということです。別の言葉に言い換えれば、意識(認識)レベルのエネルギー度合いにより人生が作られているということです。

例えば、エネルギーの共鳴によりコロナがある世界線と繋がることもあれば、逆にコロナがない世界線と繋がることもあったりします。(以下、参考動画)

同様に異常気象・食糧危機・戦争が起きたとしても影響を受ける人と影響を受けない人がでてきます。その違いは、自分自身が創造主であることを自覚しているかどうか?です。大切なことは、他人やお釈迦様や日蓮大聖人を創造主にして崇拝することではありません。あくまで自分自身が主体です。あえてもう一度繰り返しますが、これからの時代、この主体性をどこに置くのかが極めて重要な課題になってきます。

世の中には二種類のタイプの人が存在します。一方は人生を自分自身で『創造する』タイプの人。もう一方は環境に『流される』タイプの人間です。例えば、『仕事をしている』という認識と『仕事をさせられている』という認識は違います。繰り返しますが、大切なことは主体性をどこにおくのか?っていう部分です。後ほど詳しく説明しますが、『流される』人生は悪魔の思う壺です。

この記事を『見ているのか?』と、この記事を『見させられているのか?』という意識のあり方も違います。ちなみに後者の方であれば、この記事を見ることができない作りになっています。

っていうのも実はこの記事を見ていることもエネルギーの共鳴だからです。ここから先においては洗脳を解除するのに役立つ情報を書き留めていますが、その内容をここで知るということ、そのものが偶然ではないということです。

仏教的に言えば『縁』になります。要するに、この記事を読むというエネルギーという周波数の一致がなければ、今、あなたはこの記事を読むことが不可能だったんです。

例えば、昼ご飯をカレーライスにしようと意識して、人参・玉ねぎ・お肉・ジャガイモなどの具を買ってきたとします。そして買ってきた材料を手元に調理した結果、ラーメンが出来上がってた、なんてことはありませんよね。要するに意識という周波数が現実を作っているということです。

では、この記事を読む前に意識したものとはなんでしょうか?また私がこの記事を書く前に意識したものとはなんなのか?

それは顕正会での洗脳を解除するという部分にあります。だからこそ、この記事を読むという行為に至っていると思います。

また、洗脳を解除できるように、予め、この記事は『洗脳を解除するための記事です』と伝えていました。逆に洗脳を解除する気が全くないのに、この記事を読んでいる場合、嘘のエネルギーで生きていることを自覚した方がいいかもしれません。依正不二のような原理に照らし合わせてみると、嘘のエネルギー体は嘘の環境を形作ります。その嘘のエネルギーがある状態で生きて、果たして幸せになれるのか甚だ疑問です。

繰り返しになりますが、『この記事は顕正会の洗脳を解除する』っていう名目で書いています。その気持ちが全く無いという人は、悪いことは言いません。今すぐここで読むのを辞めることをオススメします。ここから先は本当に、顕正会による洗脳を解除したいと思っている方のための情報となっています。

次の項目からは、人生観が書き換わる情報を書き留めています。つまりそれは、今までの常識の内容がひっくり返るのと同時に、ちゃんと腑に落とすことで洗脳が完全に解かれていくことを意味します。

心の準備ができている方のみ文章を読み進めていってください。

文証の欠点とは?

さて、次は文証の欠点について見ていきます。

文証とは、法の正しさを証明するための文献上にある証拠となります。すなわち日蓮大聖人が書いたとされる御書やお釈迦様の説かれた経文による証拠はあるのか?っていうのを見ていくことになります。

文証についての欠点の結論を先に端的にお伝えします。それは、主観的な色眼鏡(サングラス)を通しての単なる辻褄合わせに過ぎないということです。

破良観御書という書物には次のように書かれています。『論師・訳者・人師等にはよるべからず、専ら経文を詮とせん』と。しかし、経文を文証として使用していることで既に論師・訳者・人師によっているという矛盾点があります。

例えば、経文を書いたのは、お釈迦様ではなく、あくまで、お釈迦様の弟子たちが書いたとされているため、その時点で論師を仲介役として取り入れており、また、その弟子たちがまとめたものはサンスクリット語で書かれています。そのため漢文に訳されている時点で翻訳者が存在します。また日蓮大聖人の書物を読む際においても700年前の古文から現代語訳に翻訳している時点で訳者が存在することになります。そして、経文や日蓮大聖人の仏法を受け継ぐ人がいる時点で人師に頼ることになっています。

つまり、仏法を勉強しようとしている時点で人によっているということになります。

例えば、学校の授業で歴史の勉強をする際、『信じる対象は先生の発言によらず、あくまでも教会書の内容を信じていきなさい』って言っているに等しいです。禅問答のようになりますが、その言葉を取り入れていた時点で、人によっているし、歴史の教科書を作っているのも、そもそも人によっており、どこかで間違いのある箇所があっても何ら不思議なことではないということです。

どこの宗教団体でも基本的にそうなのですが、その宗教の内容(サングラス)を取り入れている時点で自分たちの論師・訳師・人師・だけは正しいと無意識に信じ込む性質があります。例えば、顕正会においては法華経の正しさを採用するために鳩摩羅什という翻訳者は間違っていないと解釈されています。その根拠としては、鳩摩羅什の遺体を火葬した際、『舌だけは焼けず』という現象があったためとされています。また顕正会では日寛上人という人師を絶賛していますが、その根拠としては、臨終の際に『七箸のソバを食べられた』という記録に基づいています。ここで大切なことは、焼けなかった舌や、七箸のソバを食べる瞬間を、あなたは見ましたか?という部分です。他の誰かが見たことが重要なのではないのです。あなたの世界で『今』実際に起きていることが全てです。繰り返しますが、あなたが実際に見たのかどうかが大切な観点になってきます。

ここでの注意点としては文献上の書かれたものというのは、あくまで『過去』のものということです。実は最近の科学においては、過去なんてものは実際には存在しない説があるのをご存知でしょうか?

この時間の概念が覆ることで、実は宗教の洗脳というのは自然に解けていきます。ですのでここはしっかりと理解してほしいため具体的に説明していきます。ただし、世間一般的な常識というのは、時間は過去から現在へと流れており、そして現在から未来へと流れているとの概念になっています。ですがそれは誰も証明していないただの思い込みです。つまりそれは、ただの世間一般の常識であり、洗脳でしかないということです。

例えば、昔でいうところの、世間一般の常識が『天動説』であったのと同じです。後々、『地動説』が主流となったように、世間一般の常識というのは、時の変化とともに簡単にひっくり変わる瞬間があります。

例えば、過去の文献上の書物がそもそも偽物だったなんてことは枚挙にいとまがないくらい存在します。最近の歴史では、聖徳太子は本当の名前ではないとか、そもそも聖徳太子は存在していなかったと言われていたり、日本最古の通貨は和同開珎ではなかったと言われていたり、良い国(1192年)作ろう鎌倉幕府と教えられてきたことが、最近の研究では良い箱(1185年)作ろう鎌倉幕府という教え方になっていたりと、歴史の常識が覆るなんてことも珍しいことではありません。つまり、文証として使用される御書や経文が、そもそも偽書だったなんてことも起こりえるのです。

ここで理解してほしいのは要するに過去というのは今ここには存在しない幻想であり実態がないものということです。時間の流れが過去から現在へ。そして現在から未来へと流れているというのはただの思い込みです。例えば、宝くじを購入した際、当たりか否かが分かるのは過去でしょうか?それとも未来でしょうか?無論、当選番号がでた未来にありますよね。っていうことは、未来に宝くじが当たることが確定していた場合、そのタイムラインが未来から現在へと流れてくることで当たりを認識することができるようになります。そして、現在という時間は過去へ流れていくことになります。

つまり過去なんてものは存在せず、あるのは未来から流れてくる『今』だけということです。もっとわかりやすく言えば、今、あなたが読んでいるこの記事を、全て読み終える未来へのタイムラインがあるからこそ、その未来の時間の流れが、今にやってきて、『今』あなたはこの記事を読んでいるということになります。

普通に生きていたら時間の流れというのは、過去から現在へ。そして現在から未来へと流れていくように思われていますが、しかし最先端の科学においては、時間の流れというのは逆に流れているという説が主流になりつつあります。つまり、未来から現在へ。そして現在から過去へのベクトルで時間は流れているということです。(以下、参考動画)

その内容について、もう少し例え話をしていきます。

遠くにいる人とも瞬時にコミュニケーションがとれたら便利になるという創造が携帯電話やiPhoneを作り出し、そして、空を飛べる乗り物があったらワクワクするという創造があったからこそ飛行機が作り出されています。要するに何も創造していなかったら、現代社会は原始人の生活環境と変わらなかったはずなのです。いや、もしかすると創造することがなければ、そもそもこの世界が誕生することすらなかったかもしれません。

創造とは未来を見つめることで作られていきます。また誰かが何かを創造した結果として、今の世界があります。

私の例で言えば、この記事を見て顕正会での洗脳を解除したりする人が出現する『未来』を創造したからこそ、この記事を書いたということになります

当たり前のことですが『今』というのは『今』この瞬間だけにしか存在しません。要するに『今』に『過去』や『未来』は存在しないということです。一方で未来の人生がどうなっているのか?を決めるのかは今の選択肢にあります。例えば、とある高校球児の『未来』がプロ野球選手になるとします。そのために『今』という時間を野球の練習に費やしているようなものです。

仮に過去と未来が存在するとすれば、『同時』に存在しているということになります。だから、『今』が変われば、おのずと『過去』も変わります。

また、時間の概念を別の視点からみれば次のようなことに繋がります。

過去の出来事の積み重ねで『今』の自分が存在する訳ではなくて『未来』の自分の姿があるからこそ『今』があるということです。

ただ正直なとこ、時間が未来から過去に向かって流れていようが、過去から未来に流れているように思い込んでいようが、そんなことどっちでもいいと思います。大切なのは、自分自身の理想とするあるべき姿を描くために、生きる目的(志)を定め、その上で今ある状況を楽しんだり、今ある幸せを感じたり、そして今ワクワクする選択肢の道を歩めているかどうかではないでしょうか?

逆に問題なのは過去の歴史や時の流れに執着してしまうという点にあります。それがなぜ問題になるのかといえば、人生の視野が狭くなるからです。

おそらく今後の時代で重要な観点になってくるのは、今まで培ってきた常識を手放し視野を広げることだと思います。っていうのも今後、AIがシンギュラリティを迎え人間の知能を上回るとされています。その際、一日一日ごとに新しい常識が次から次へとでてくるようになってくるものと思われます。さらに言えば一秒一秒の秒単位で常識が覆っていく時代が訪れるかもしれません。っていうよりも、もうそのシンギュラリティはすでに始まっている可能性すらありえます。その時々で古い常識に縛られて執着しているようであれば、おそらく時代に取り残されていきます。未だに正しい答えを探し出そうとしたり、あるいは善とか悪とか、正法とか邪法とかを区別する時代はもう古い考えということです。

つまり、過ぎ去った歴史や過去の時間にフォーカスを当てても、そこには何もないということです。人生に辻褄を合わせようと考える人も多いですが、特にそれらはやる必要がないのです。例えば私の例で言えば、過去に『日蓮大聖人の仏法は何が起きようと信心(信仰心)を貫く!』という思いを抱いていましたが、それはあくまで過去の思いということです。

もっと分かりやすく言えば食べのの好き嫌いが変化しても良いっていうことです。昔、リンゴの食感が苦手だったという過去があったとしても、今、リンゴの食感が合うのであれば、いくらでも食べれば良いのです。昔、リンゴが嫌いという発言をしていたとしても、今どうなのか?が大切なのです。繰り返しますが、人生において大切なことは過去ではありません。未来どうしていきたいのか?という今の視点です。

所詮、過去というのは頭に保管された記憶にすぎず、実体がありません。ですので、過去の情報なんていくらでも書き換えることが可能なのです。

例えば、私の例で言えば、宗教の洗脳を受けたことで親不孝の経験をしてしまった『過去』がありますが、その『過去』も今ある選択肢によっては、その概念を覆すことが可能になります。

確かに今、洗脳をまともに受けていた当時を思い返せば、私の母に対しては大変申し訳なかったと反省するのみですが、しかしここでも重要なことは過去を振り返ったとて、頭にあるだけで、実際にはそこには何もなく、何も存在していないということです。

そして、過去を振り返っても何かが変わる訳ではありません。ですので、ダラダラと過去の出来事を後悔する今よりも、未来を変えていこうとする今の意思や未来への選択肢の方が遥かに大切になります。

人生は一瞬一瞬の選択肢が問われています。そして、人の人生の価値というは、その人の人生で何を選択し、何をおこなってきたのか?っていうのが大切になります。

それに加えもう一つ大切なことがあるとすれば、

その人が愛情をそそいで育てた、子どもが、人生において何を成し遂げていくのか?が極めて重要なことだと思っています。

だからこそ、願わくば、私はこの世界に築かれた洗脳社会を終わらし、そして、今の世界をより良く、より面白く、より優しさで満ち溢れる世界を築きあげ、そして、次世代の子どもたちに、そのバトンを託して、誇りをもってこの世を去っていきたいと思っています。

もしかすると、それが出来た暁には、私の人生において、過去の概念が覆り、一種の親孝行した人生ストーリーを歩めたと言えるのかもしれません。またその未来が来ることを固く信じています。

逆にここでやるだけ時間の無駄なのが、過去を振り返り、あの時はああすれば良かったとか、この時はこうすれば良かったとか、ただひたすらに後悔と反省の日々を過ごし、そして、罪悪感に苛まれることだと思っています。

お分かりいただけたでしょうか?要するに過去の自分を投影したり、過去の自分をフィルターに通し辻褄を合わせようとするのは、特にやる意味がないということです。つまり、見つめるべきは過去ではなく、自分が創造したい未来にあります。

ですので、私がこの世を去り、いずれあの世で亡き母に対面した際に伝える言葉は『あの時はごめんね』などの反省の言葉ではありません。

いつかその時が訪れた際、母に対して伝える言葉は次のようにすることだけは既に決めています。

『お母さんの子となることで多くの安らぎと幸福を感じることができました。いついかなるときも、愛情をもって接してくれたこと心より感謝申し上げます。

あの日々があったおかげで・・・

愛と感謝と調和に満ちた世界で最もかけがえのない素晴らしい人生の旅を歩み終えることができました。ありがとうございました。』

お礼を述べたあとは、もう一度、抱きしめてもらい温もりを感じるつもりです♪

現象の欠点とは?

さて、次は現象の欠点について見ていきましょう。

顕正会が説明してくる現象においては、功徳や成仏の証拠などがあります。功徳においては解釈の仕方により、なんでも功徳にできるという特徴があります。例えば美味しいご飯を食べれたときや、アイスクリームの当たり棒が当たったみたいな感じです。そんなのいくらでも作れます。ちなみに余談ではありますが、私が顕正会を辞めた後、給料が大幅に跳ね上がるという状態になりましたが、これも顕正会での活動を続けていたら、功徳という認識になっていたであろうことは想像に難しくありません。

また、顕正会では人生の目的地を成仏をすることにあると解釈しており、そのため成仏の相をとても大切にされています。成仏の相とは臨終ののちに色が白くなり、軽く、柔らかく、かつ柔和な相となると信じられています。逆に地獄に堕ちる人の特徴は遺体が黒くなり、重くなり、そして恐ろしい形相になるとされています。

私は介護現場を通して亡くなる人を多々目の当たりすることがありますが、仏法をやっていなくても、恐ろしい形相で亡くなった人なんて見たことありません。また黒くなったり、あきらかな体重変化を感じたこともないです。

また、仏法に対して嫌悪感を抱き大反発していた、私の母は臨終の際、肌艶は良く、とても優しい顔をされていました。葬式に来て下さった数は200名前後おり、たくさんの人から愛されながらこの世を去っていきました。

顕正会での活動を十数年やってきたなかで、顕正会の幹部と、そうではない普通の人が亡くなった臨終を見比べる機会がありましたが、臨終の相に違いなどありませんでした。むしろ、看取り介護をしているなかで不思議な経験をすることも多々ありました。例えば、亡くなる一ヶ月前より、『お迎えがきている』と発言された利用者がいたこと、また何の苦しみもなさそうに亡くなった利用者様がいたこと。バイタルがとても安定していて血圧が120/60という数字を見せたうえで翌日に眠るように亡くなった利用者様がいたこと。

ある日、どこからともなく看取り介護をおこなっていた利用者さんが『ありがとう』って言っているのを感じた、その日の出勤時、他界されていた利用者様がいたことなど。いくつもの不思議を経験してきました。

有難いことに、人の死に様に立ち会うなかで理解できたことは、顕正会員であろうと、そうではない普通の人であろうと、臨終後の相に違いはないということが分かりました。

つまるところ、災いがくる恐怖や地獄に堕ちる恐怖を抱かせた上で、確信に至らせる要素は曖昧にし、救われるためには信じる心が必要と洗脳してくるわけです。

一旦、話をまとめます。顕正会では宗教の正邪を判別する方法として道理・文証・現象の三つを重要視されていますが、これまで説明したように結局のところ抽象度が高すぎたり、見る人の視点によって捉え方が変わるため正しさを証明することができないという欠点があります。よって、日蓮大聖人の仏法が唯一の成仏の法であるなんて誰も証明できません。

その一方で、罰や災い、そして、地獄に堕ちるという概念で持って信者をマインドコントロールするのが、顕正会のやり方です。

要するに顕正会では、恐怖を使用したマインドコントロールを得意としています。例えば月に一度、総幹部会(ビデオ放映)というものがありますが、必ず恐怖の側面を見つけ出し洗脳していきます。例えば、殺人や強盗などの事件を取り上げては、現代社会は人の心が荒れるようになっているため、日蓮大聖人に帰依しなければならないとか、あるいは、日蓮大聖人に帰依しなければ、中国が侵略して日本は亡国を招くことになるとか、しまいには仏法に背くならば無間地獄に堕ちるなどと言ってきます。

そして、恐怖を感じさせた後、地獄の苦しみや、現代社会に起こる災いを消し去るためには『南無妙法蓮華経』を唱えるしかないと解釈されています。

顕正会で完全に洗脳されてしまうと、日蓮大聖人こそ全人類をお救いくださる偉大な仏様であるという認識になります。その認識(洗脳)がある状況において、仏法をやっていない人を見ると行き先不明のバスに乗っているに等しいとの思考におちいります。

言うまでもなく、バスに乗るのは目的地があるためですが、その行き先の目的地は学校にせよ職場にせよ、スーパーにせよ、自分が決めることです。人生の目的においても同様で、人生の目的を決めるのは顕正会とか、淺井先生とか、親とか、他人ではありません。仮に人生の目的(意味)を誰かに設定させるのであれば、その人はロボットとなんら変わりありません。

人生の目的を決めるためには志を立てたり、人生で何をすれば悔いなく死ねるのか?っていうのを自分自身で考える必要があります。そういったことを自分の頭で考えることをやめると、ほぼ100%流されるようになります。大切なことなので繰り返します。自分の人生の目的を明確にしないままだと100%流される人生を送ることになります。是非、自分は何がしたいのか?を自問自答してみることをオススメします。

情報を取り入れる際の四つの視点!

ここから先においては、最近(2011年)に至るまで世間に公開されてこなかった秘伝書の内容を深掘りしていきます。

ちなみに、ナポレオンヒルが悪魔と対話したとされる内容を書き留めていますが、おそらく、その内容をここで知るということ、そのものが偶然ではないと思っています。ですので、もしかすると何らかの『縁』や『導き』があったのかもしれません。

ただし、悪魔との対話を紹介する前に思い出してほしいことがあります。それは時間の概念です。この記事でお伝えしたとおり、書籍化されたものはあくまで過去に書かれたものであって現在との時間軸によるズレがあります。それはつまり、世界線が多少ズレている可能性があるということです。よってここでも、『悪魔との対話』の内容が100%正しいものとする認識は断定できません。

そこで参考までに、情報を取り入れる際のポイントをお伝えした上で本の内容に入っていきたいと思います。

人や本からの情報を取り入れる際の視点は大きく分けて以下の四つになってきます。

  1. 信仰的視点
  2. 科学的視点
  3. 精神的視点
  4. 目的視点

1の信仰的視点とは、宗教やスピリチュアル的な化学的に証明できないものを、信じるか疑うかという信仰基準のことです。

2の科学的視点とは、合理性に基づき証明されているかどうか?という視点に立って物事を見るという視点です。例えば、絵の具の赤+白を計算する際、赤の性質を薄める故にピンクになると判断するようなものです。またそこで実験を兼ね合わせ、本当にピンク色になった場合、赤+白=ピンクと証明することができるようになります。このような視点を科学的視点といいます。

3の精神的視点とは、科学的視点とは違い、理論では解明できていないものの、自分がその物事を取り入れた際に安心できるか否か?という視点になります。例えば、全身麻酔をする際、稀に死亡するケースがありますが、きっと大丈夫だろうと自分自身を落ち着かせるための視点になります。沖縄の方言である『ナンクルナイサー』という言葉やスペイン語の『ケセラセラ』(なるようになるさ)っていう言葉などが精神的視点の特徴になります。要するに根拠はないけど、安心感を得るために、その情報が役立つか否か?ということになります。

4の目的視点とは、何のために?その情報を取り入れるのか?っていうのを前もって設定して物事の情報を見ていくことになります。例えば本を読む際、人によっては何らかの行動をするためだとか、あるいは仕事の効率を上げていくためだとか、様々な理由があります。そのように予めゴール設定をして情報を取り入れていくのが目的視点となります。

これから私が、『悪魔を出し抜け!』の内容についての要点をお伝えしていきますが、それは精神的観点を通して、地獄とか、罰とか、他国侵逼とか、災難などの恐怖を解消してほしいと思ったからです。ですので人によっては、本当にナポレオンヒルが悪魔と対話したのか?って思う人もいるかもしれません。しかしそれが事実かどうかは一旦おいておきます。

重要なことは、これからお伝えする内容が自分自身の人生に役立つか否かです。言い方を変えれば、自分自身の人生において有益な情報を与えているかどうかっていう部分となります。そのことを踏まえた上で次章を読み進めていただければと思います。

悪魔を出し抜け!

以下、『悪魔を出し抜け!』の中から一部抜粋した引用文となっています。

(ナポレオンヒル)『私は悪魔の考えを読み取ることのできる秘密の暗号を手に入れた。これから簡単な質問をいくつかするので、それに対し明白かつ誠実に答えるように。悪魔よ、用意はいいかね?』  

(悪魔)『用意はできている。しかし、私に話しかける際にはもっと敬意を払うように。この対話の間、私のことは「陛下」と呼ぶのだ。』

中略

(ナポレオンヒル)『あなたがどういう姿かたちをしているのか説明してもらいたい。』  

(悪魔)『姿かたち? まったく、人間はこれだから困る。私には姿かたちなどない。おまえたちのように邪魔物を身にまとっていては闘いに不利だ。私は否定的なエネルギーからできていて、私を恐れる者の意識の中に住んでいる。また私は、物質を構成するすべての原子の半分と、あらゆる精神的・物理的エネルギーの半分を支配している。すべての原子は二つのグループに分けられるが、その否定的な方が私だと言えば、少しは理解しやすくなるのではないか。』

(ナポレオンヒル)『人間の意識はどうやってコントロールするのですか?』

(悪魔)『それは簡単なことだ。人間の脳の使われていない部分へ侵入し、そこを占拠するだけだ。人間の意識に否定的な思考の種をまいておけば、いずれその空間を占拠しコントロールすることができるようになるのだ!』

(ナポレオンヒル)『人間の意識をとらえて支配するためのトリックや道具を、あなたはさぞかしたくさん持っているのでしょうね。』

(悪魔)『確かに、人間の意識をコントロールするために、私はたくさんのトリックや道具を用いている。しかも、私が用いる道具は非常に優秀だ。』

(ナポレオンヒル)『どうぞ、その優秀な道具について説明してください。』

(悪魔)「人間の意識をコントロールするのに最も適した道具は恐怖だ。人間の意識に恐怖の種を植え付けると、やがてその種が芽を出し成長する。そうやって、恐怖が占拠した空間を私がコントロールするのだ。恐怖の中でもとりわけ次の六つが最も効果が高い。貧困、非難、病気、失恋、老い、そして死への恐怖。』

(ナポレオンヒル)『そのうち最もよく使うのはどの恐怖ですか?』

(悪魔)『最初と最後、すなわち貧困と死だ。私はすべての人間に対して、彼らが生きている間に一度か二度、このうちのいずれかあるいは両方を使って私の支配力を強化する。私は非常に巧みにその恐怖の種を人間の意識の中に植えつけるので、彼らはそれを自分で作り出したものだと思い込んでいる。さらに私は、その目標を完結するために、悪魔があの世に通じる門のすぐ向こうで待っていて、死んだ人間はそこで永遠の罰を与えられると人に信じ込ませる。もちろん、私は人間を罰することなど実際にはできない。唯一できるのは、人間の意識の中に何らかの恐怖を起こすという罰だけだ。しかし、現実には存在しないものへの恐怖は、現実に存在するものへの恐怖と同じくらい効果的だ。形はどうであれ、すべての恐怖は人間の意識の中で私の占拠する空間を広げてくれる。』

中略

(ナポレオンヒル)『あなたが住んでいる場所について、もう少し教えてください。』

(悪魔)『私はどこでも好きな場所に住むことができる。私には、時間や空間は存在しない。わかりやすく言えば、私は一つのエネルギーなのだ。すでに話したように、私にとって一番居心地のいい物理的な場所は人間の意識の中だ。すべての人間の脳の一部は私が支配している。それがどのくらいの範囲になるかは、その人間が何をどのくらい考えているかによる。さっきも言ったように、私は考える人間を完全に支配することはできない。』

中略

(悪魔)『私が人間に使う最大の武器は、二つの秘められた原理からなっている。その原理によって私は人間の意識を支配しているのだ。一つ目は習慣の原理だ。私はこの原理を使って人間の意識に密かに入り込む。この原理を働かせることで、私は「流される」という習慣を確立させるのだ。いったん「流される」ようになった人間は、おまえたちが「地獄」と呼ぶ場所へと真っ直ぐに向かう。』

(ナポレオンヒル)『あなたが人間を「流される」よう仕向けるときに使うすべての方法について説明してください。まず、その「流される」という言葉の意味の定義からお願いします。』

(悪魔)『「流される」とはつまりこういうことだ。自分の頭で考える人間は決して流されたりはしない。一方、自分の頭でほとんど、あるいはまったく考えない人間は「流される」人間だ。「流される」人間は、まわりの状況に影響を受けコントロールされても、それに抵抗しない。自分で考えるのが面倒で、むしろ悪魔が自分の意識を支配し、自分の代わりに考えることを歓迎する。人生に何が起ころうとそれに甘んじ、反抗したり反撃したりすることもない。人生に何を望めばいいのかもわからず、ただぼんやり日々を過ごすだけ。あれこれ意見は言うが、どれも自分で考えたものではない。そのほとんどは私が吹き込んだものだ。「流される」人間は精神的な怠け者で、頭を使うことをほとんどしない。だからこそ、私は彼らの思考をコントロールし、その意識に私の考えを植え付けることができるのだ。

中略

(ナポレオンヒル)『人間の意識をコントロールしようとするとき、一番よく使う習慣は何ですか?』 

(悪魔)『それは私が使うトリックの中でも実に巧妙なものの一つだ。というのも、私は思考を通して人間の意識に入り込むが、人間はみなその思考を自分のものだと勘違いしているからだ。中でも私の役に立つのは、恐怖、迷信、金銭欲、貪欲、情欲、恨み、怒り、虚栄心、そして怠け心。この九つの扉のうちの一つあるいは複数を通ることで、私はどんな人間の意識の中にも入ることができる。年齢は特に関係ないが、やはり幼いうちの方が結果はよくなる。扉の締め方を学ばれてしまう前にその意識を支配してしまえば、あとはいろいろと習慣をつけさせることで、その扉は永久に開いたままになるからだ。』

(ナポレオンヒル)『それでは、人間を「流される」ように仕向ける別のトリックについても教えてください。』

(悪魔)『「流される」という習慣をつけさせるトリックのうち二番目に巧妙なものは、実は、子供の親や学校の教師、また宗教指導者たちに協力をしてもらっている。このトリックについては聞かない方が身のためだ。これは秘密にしておいた方がいい。もし、これを公けにしたりすると、このトリックに協力してくれている私の仲間から恨まれることになるぞ。』

中略

(ナポレオンヒル)『私のことは気にしてもらわなくて結構です。人間を地獄に引きずり込むための、その二番目に巧妙なトリックとやらを早く教えてください。』

(悪魔)『二番目といっても、実は二番目ではない。それは、本当のところ一番目なのだ! なぜなら、それなくしては若者たちの意識を支配することはできないからだ。親、教師、宗教指導者、そして多くの大人たちは、自分で考えるという習慣を子供たちの頭の中から追い出すという私の目標を、知らず知らずのうちに手伝っているのだ。』

中略

(悪魔)『特に私が頼りにしているのは、子供たちに宗教的指導を行う者の手助けだ。人間はこの世界のことなど何もわかっていない。そんな人間の意識を、宗教家の唱える証明不可能な説で混乱させることで、私は人間から自分の頭で考える力を奪い、何事にも「流される」という習慣を身につけさせるのだ。また、恐怖の中でも最悪の恐怖、つまり地獄という恐怖を子供たちの意識に植えつけるのも、この宗教の世界でのことなのだ。』

中略

(悪魔)『リズムとは習慣の最終段階なのだ!どんな思考も、どんな体の動きも、何度も何度も繰り返されるうちに、習慣の原理によって、最後はあるリズムを形成する。その段階まで来ると、もはやその習慣を壊すことはできない。なぜなら、それはすでに大自然にとりこまれ、永久のものとなっているからだ。たとえて言えば、水の中にできる渦のようなものだ。水の中の物体は、渦に巻き込まれない限り、どこまでも流されていくだろう。しかし、いったん巻き込まれると、ぐるぐると回転を始め、二度とそこから逃れることはできない。人間が思考するときに使うエネルギーも、その川の流れのようなものだと思えばいい。』

(ナポレオンヒル)『つまり、そうやって、あなたは人間の意識をコントロールしているというのですね?』  

(悪魔)『そうだ。人間の意識を支配するために唯一必要なことは、その人間を「流される」ように仕向けることなのだ。』

(ナポレオンヒル)『自分の頭で考え、自分で人生の目標を定めることができるという特権を失わないようにするためには、「流される」習慣に最も注意が必要だということですね?』

(悪魔)『それだけではないぞ。私が死んだ人間の魂を奪い取るときに使うのも、また「流される」という習慣なのだ。』

(ナポレオンヒル)『ということは、自分という存在が永久消滅しないようにする唯一の方法は、生きている間に自分の意識をしっかりコントロールしておくことだということなのですね。それで、間違いありませんか?』

(悪魔)『まさしく、その通りだ! 自分の頭で考え、自分の意識をコントロールする者は、私のクモの巣にはかからない。そうでない者たちは、太陽が西に沈むがごとく、当然のこととして私がいただく。』

中略

(悪魔)『どんな人間も、目的や計画を明確にすることさえできれば、人生で望むものを何でも手に入れることができる。』

引用文の紹介はここまでにしたいと思います。(以下、参考動画)

続きが気になる方は以下のリンク先より購入していただければと思います。非常にオススメの本です。

悪魔を出し抜け!の内容を一言でまとめれば次のようになります。

『悪魔は、「流される」という武器を使用して、人の意識に入り込み、そして、習慣化の渦を作っては、やがて否定的なエネルギー(人)を形成していく』ということになります。

またそのために、特に悪魔が頼りにしているのが「宗教家」と示されています。

ここでもう一度、上記に載せた悪魔の発言の引用文を掲載します。

『人間はこの世界のことなど何もわかっていない。そんな人間の意識を、宗教家の唱える証明不可能な説で混乱させることで、私は人間から自分の頭で考える力を奪い、何事にも「流される」という習慣を身につけさせるのだ。また、恐怖の中でも最悪の恐怖、つまり地獄という恐怖を子供たちの意識に植えつけるのも、この宗教の世界でのことなのだ』

ここでは、最悪の恐怖を指して地獄と示されています。

仏教においても八大地獄というのが具体的に説かれていますが、結局のところ、証明不可能なのは言うまでもありません。

渦が水を引き寄せ飲み込むように、恐怖のエネルギーに引き寄せ飲み込まれると、なかなかそこから脱出することができなくなります。

だからこそ、周りの環境や人に「流されない」ことが大切になってきます。

ちなみに、「流される」とは周りの状況に影響を受けコントロールされることを指します。一例をあげれば、得体(中身)の知れないワクチンを周りもみんな打っているから、自分も受けようみたいな状態になります。仮にワクチンの危険性を伝えたとしても、流される人間は、周囲の環境や状況により簡単に受け入れてしまいます。

流される人間は、自分で考えるのが面倒で、むしろ自分の意識が支配されても反抗したりすることがないのが特徴となっているそうです。別の言葉に言い換えれば、流される人間は精神的な怠け者と表現されていました。

ワクチンだけじゃなく宗教においても然りです。いくら矛盾点を指摘したところで、流される人間の場合、周りの状況にコントロールされるようになります。例えば、親がやっているからとか、あるいは、辞めて罰があたるのが怖いからみたいな感じです。

私のブログ記事においても、いくつかの宗教の洗脳を解除する方法をまとめていますが、宗教団体の矛盾点を理解したとて、実際に宗教団体を辞めるって人は少ないように感じます。

結局のところ、自分の人生を自分で切り開く覚悟のない人は流されてしまうのがおちになります。その流される習慣の原因となるものが、大きく分けると以下の9つに該当するそうです。

  1. 恐怖
  2. 迷信
  3. 金銭欲
  4. 貪欲
  5. 情欲
  6. 恨み
  7. 怒り
  8. 虚栄心
  9. 怠け心

上記の思考などから成り立った習慣は悪魔は巧妙に、その意識につけ入り人間をコントロールするそうです。

特に顕正会では恐怖を使用したマインドコントロールを得意としています。

例えば異常気象が起きるだとか、食糧危機が起きるだとか、大疫病が起きるだとか、中国が侵略してくるだとか、終いには地獄に堕ちるだとか言ってきます。

一応、少しだけ触れておくと、異常気象が起きるのはポールシフトの影響によるものです。そのため大洪水が発生したり、今後の日本においては気温が50度を超えていくところもあると予想されています。また信じ難いかもしれませんが、2040年頃には海面が約60m上昇していく説があったりもします。

実際に海面上昇を懸念して海外では首都移動計画をしているところもあります。その一つ一つの現象が起きた際に顕正会では次のような解釈になります。『これは諸天の働きによるものだから早く日蓮大聖人に帰依しなければならない!』と。そのような発言をしては脅かしてくるのを容易に想像できます。

ただ、こんな環境が激変する時代なんて今までの歴史でも稀です。どうせなら、環境の変化に対して不安になるのではなく楽しんだ方が良くないですか?って思います。要するに人生はサーフィンと一緒です。人生(波)を恐怖にするのも、ワクワクに捉えるのも、その人次第ってことになります。

おそらく今後は空島が完成したり、食糧危機の課題に対しては、エネルギーの転写技術により砂漠の砂でも良質な土のエネルギーをコピーして転写することで、農業をおこなえるようになったりします。実際にそのような技術はまだ世間一般には知られていませんが開発されています。顕正会においては水不足の危機においても取り上げる事がありましたが、現代社会においては、普通に空気より水に変換する機械などもあります。

またコロナを指して大疫病と解釈されていますが、なぜただの風邪が大疫病になるのかが甚だ疑問です。っていうよりも、そもそもコロナって未だに存在証明がされていないのですが、いつまでたってもマスク着用している姿を見る際、勉強不足もここまできたら裸の王様のように感じてしまいます。厳しい言い方になるかもしれませんが勉強不足で無知なる影響が子ども達にも影響を及ぼしていることをそろそろ自覚した方がいいと思ってしまいます。

中国が侵略してくるとの発言においては、数十年前より、まもなくこの国を襲うであろうって発言されていますが、まもなくっていうのは間も無くって漢字になるように、すぐにとか、もうすぐっていう意味になります。仮に数十年間を指して間も無くと言えるのなら、数百年・数千年・数億年の時間が経過しても、それを指して、まもなくっていう言い方もありになってきます。

例えば、間も無く富士山が噴火しますって言っているのと等しく、そんなのいつかくる可能性があるのは当たりまえです。来なければ来ないで、その間ずっと、まもなくって言っておけば言い逃れができる卑怯な言葉になると思います。

そのことは一旦置いときます。問題なのは、災いが起きる根本原因を仏法に背いている故に起きていると解釈されているところにあります。

そして、日本の柱は日蓮大聖人であると解釈されています。顕正会のみる視点から具体的に歴史を見ていけば、現在の日本の柱は不安定な状態となります。それはなぜかといえば、700年前に日蓮大聖人が国家権力による死罪・流罪などの迫害をされたためとされています。

ここで迫害による内容の一例をあげます。少輔房という人物に法華経第五の経巻で顔を打たれた際、日蓮大聖人は大高声で次のように叫ばれたそうです。

『あらをもしろや。平左衛門尉がものに狂うを見よ。とのばら、只今ぞ日本国の柱を倒す』と。

余談ではありますが、大高声で叫ばれた事実なんて確認のしようがなく単なる想像に過ぎません。また上記の発言だけではありませんが、なぜ日蓮大聖人の発言したとされる内容が文章として残っているのかが疑問に思ってしまいます。例えば、現代社会に住んでいる人の発言が幼少期の頃から死ぬ時に至るまで、残した言葉一つ一つが録音や記録されていた場合、違和感がありませんか?ってことです。

話を元に戻しますが、九山八海や万法が己心に収まっているとされる仏様なる人物が、人から暴力を受けている時点でおかしいのです。

実は武道の達人は、他者との接点を交わしては自然に倒していくことができます。もっと言ってしまえば人に触れずとも、他者を動かしたり、人を殺すことができたりもします。あまり知られてはいませんが、実際にそのような人物は現代の日本にもいます。ちなみに人に触れずに他者を動かすことなんて武道の稽古をすれば誰でもできるようになったりもします。

それなのに絶大威力をもつとされる仏様が顔を叩かれている時点で、それはもう絶大威力とは言いません。そんな簡単に日本の柱が倒されるようであれば、そもそも日本の柱はあってないようなものです。

ここで伝えたいのは、日本の柱を倒しぬっていう言葉そのものが悟ってない人の発言になっているっていうことです。悟りとは別の言葉に言い換えれば差取りとなります。要するに他者と自分の境界線をなくすってことです。その状態では叩こうにも叩けないっていう現象になります。つまり本来であれば悟った相手を押し倒そうとしても押し倒せない状態になります。

日蓮大聖人という人物が本当に悟りの状態になっている仏様だった場合、法華経第五の巻物で叩こうにも叩けないっていう現象に繋がるはずなのです。それができていない時点で、矛盾しています。要するに万法は己心に収まっていないじゃん!っていうことです。調和のエネルギー状態になれば他者とのぶつかりなんてそもそも起きないのです。言葉に説明しても分かりづらいと思うので参考動画を載せておきます。

洗脳が深く、日蓮大聖人の仏法は正しいという色眼鏡を着用している状態では上記の内容を目にしたとしても、また何らかの言い訳が出てくると思います。しかし、ここで理解してほしいのは、そこで議論したところで、もはや行き着く先に正しい答えなんて出てこないのです。

例えば卵が先か鶏が先か?という問題を解こうとしても、解釈によって、どっちもありえるのと同じです。

日蓮大聖人の仏法においては、下種益・熟益・脱益という観点を大事にされています。ちなみに、下種益とは、人の心田に仏になる種を下すこと。熟益とは下された仏種を育てること。脱益とは成仏することです。

つまり、野菜や果物と同じように、仏法上の観点においては仏の種を心の田んぼに植えることで、やがて熟し成仏という実を結ぶとされています。もしそれが事実ならば、そもそも大元の(久遠元初)に下種をした人は誰なのか?っていう疑問がでてきます。顕正会の解釈では、その答えが日蓮大聖人ということにされています。しかしここで言いたいのは、その大元の仏様(日蓮大聖人)においても誰かから下種を受けていないとおかしいということです。

ただしこれは一つの見解です。要するに食物を育てるためには、そもそも種が必要っていう解釈になります。そして、鶏が生まれるためには、卵が必要って言っているのと同じ理屈です。

しかし、久遠元初の仏様においては、御自身の生命を深く観じ、生命の極理を悟ったとされています。つまり下種されていない状況で、ある日、『南無妙法蓮華経』という仏に成る方法を悟ったということです。

つまり、例えて言うなら、『タネから育たなかった植物』『卵から生まれなかった鶏』と同じ理屈になります。

これを人に訳すと次にようになります。

『お母さんのお腹から生まれていない人』

つまり、『下種を受けていない仏様』が存在することになります。

ここまでくると、もはや何でもありの世界になってきます。しかしどこの宗教においても、信仰の対象だけは『特別』だと思っているのが現状です。

ある日、深い智恵を持って自分自身の生命を観じて悟りを開く『特別』が許されるなら、他の宗教が説く『特別』も許さなければなりません。しかし、顕正会の解釈によれば他の宗教は邪宗扱いとなっているのが現状です。

お分かりいただけたでしょうか?正しい答えを探しだそうとして議論したとしても、そこに答えはありません。

要するにこの世界に絶対的に正しいとされるものなんてないということです。

過去の歴史を振り返ったとて答えがないのであれば、私たちが見つめるべきは、おのずと次のところにいきつきます。

それは、

『未来を想像し、今を精一杯に生きること』

そのため

ただ仮に一つだけ正しさの定義があるとすれば

『ニュートラルな状態の自分自身を強く信じること』になってきます。

宗教とか他人とか、親とか親友とか、周りの環境ではありません。

あなただけの魅力・エネルギー・輝き、

そして、あなただけの見えている世界・宇宙・本質があります。

だからこそ、私から、この記事を見ているあなたに伝えるべきことは次の一言に託します。

『もうそろそろ、

・・・

あなたは、

本来のあなた自身に戻って下さい。』

まとめ

ここまでこの記事をご覧下さり、ありがとうございました。

心より感謝申し上げます。

この記事で伝えたかった内容を一言でまとめると、この世界に完璧なものなんてないということです。

過去の歴史や固定観念に囚われ執着していれば、いつか、人生の歯車がおかしくなります。

この記事を読んでくださっている方には顕正会や何らかの宗教団体に在籍して長年経過している人も多いと思います。

仮に洗脳が解けたとて、そこから人生を再スタートさせるのは大変なことかもしれません。

今、この記事をご覧になっている、あなたの未来には大きく分けて二つの選択肢があります。

洗脳の影響で壊れた歯車(人生)の状態のまま突き進み、いつまでも正しさとか、間違っているとかの思考回路で人生の答えを追い求める人生。

もう一つは壊れた歯車(人生)を一度リセットし、零(ニュートラル)の状態から、自分の心が踊るような世界を創造して築き上げていく人生。

どちらがいいのか?言うに及ばないと思っています。

繰り返しになりますが、過去なんてものは実体がなく、存在していません。例えていうのであれば、過去というのは池の水に映る月のようなものです。

大切なのは『今』です。

『今』、あなたがワクワクするのはどのような人生ですか?

この記事を読まれた、あなたが本来の自分のエネルギーを取り戻し、そして、あなただけの美しい鰭という志で、この世界を自由に游いでいけることを心より願っています。

この記事の締めくくりとして、私の好きな歌詞を紹介して終わりにしたいと思います。

流れるまんま 流されたら

抗おうか 美しい鰭で

壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように

スピッツ(美しい鰭)

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